コロナついてはもっと海外の状況変化に注視するべき
在宅勤務が多くなると、どうしてもテレビでワイドショウを見てしまうことがあります。どれを見ても同じコメンテーターが毎日毎日、感染者数増がどうのこうの、なんでPCR検査を増やせられないのか、実質医療崩壊になってしまっているとか、8割接触削減目標なのに外出自粛が届かない、スーパーに人が混んでいて危ないのでどうにかせよ、パチンコ店は営業自粛に協力的でない、営業自粛している飲食店はもう潰れる、なんで給付金の支給を早くできないのか・・・・うんざりするほど朝から夕方まで延々と同じことばっかりやっています。普段からワイドショウはこんな感じかと思いますが、ずーーーーと、日本国内のことばかりやっているのです。もちろん、コロナ感染で日本より大変なことになっているアメリカやイタリア、スペインなどの状況は、海外の通信社が配信した画像や記事をそのまま引用して同じ報道しているだけです。ニュースのとらえ方は非常に一義的であって、似たような価値観でしか世の中の動きの断面しか伝えていません。
実際、いろんな方々がネットで発信している情報の方が非常に多様かつ多角的なものが多く、特に今後世の中がどう変化していくのか、それに合わせて今後の経済や政治、生活、文化がどんな価値観に激変し、どう変わらねばならないのかについて、深い気づきを得ることが多いと感じます。政府の支援が遅いとかもっと支援しろとかいった、常に政府を批判するスタンスでしか伝えられないテレビや新聞などの旧メディアは、もう将来自分たちの仕事がなくなるといった自覚すらもないように思えるのです。
半年先、一年先に世の中がどう変わっているのか、もう後には戻れないという観点からはほとんどのメディアは伝えていません。当面、自粛と補償はセットだといった直近の対応のレベルではないのです。自分たちの仕事そのものが消えてしまうといった現実の世界、倒産が加速し失業者が町にあふれるといった恐ろしい世界についてマスコミは誰もしゃべろうとしません。テレビスタジオもコロナ対策という掛け声で、コメンテーターをSKYPEでつないで出演させたり、スタジオには誰も観客を入れずに拍手はスタッフのみといった番組ばかりですし、いよいよ旅番組やグルメレポといった番組もロケができずにビデオストックが底をつき、最近では過去評判コーナーの総集編だけで構成したり、ついにはワイドショウ以外の午後はほとんどが再放送ばかりという感じになってきました。もうテレビ局は番組を作ることもできず、素人が発信する動画なみかそれ以下の質の番組ばかりになってしまうと、放送局の存在価値そのものがなくなっていくという危機感はまだ感じられません。
世界を見て日本の問題に気づくことが重要
日本全体はあまりにもドメスティックな世界で生きてきたため、自分たちの考え方や常識がいかに世界からかけ離れているかということがわかっていない人が多いように思います。一番典型的なのは自発的「自粛」で何とかなる、日本人は民度が高いから政府が禁止しなくても対策は有効にいくはずと思っているのを見ると、世界からみたら全く異常な国としか言いようがないのです。海外のほとんどの国は国民に対して責任を持っているのだから、国民も国から規制されることもある意味当然と思っています。どんな国でも納税や治安に対しては国が公権力を発揮するのは、国民が社会生活を安全に過ごすために当たり前の話です。ところが全ての国家権力は悪であるとして、強制されなくても国民の自発的常識に任せておいたらうまくいくとしたら、だれも税金は払わないし犯罪が横行するはず、法的強制力があるから国民は納税するわけだし、罪には問われないけど他人に迷惑をかける行為を行うのは自粛しておこうという人はいるはずない。にもかかわらず、今回のコロナ感染防止のために、政府は国民の命を守るために、外出禁止や営業禁止といった措置を行わず、自主的に営業自粛をお願いし、8割の接触削減を達成するため外出を控えていただくようお願いするといった甘~い政策は、外国人から全く信じられないと言われるのです。たとえ日本人がどんなに誇れる自主性のある民族だと思っていても、禁止命令などの強制力がないと守れない人がいるのは一定数いるので、最終的には社会損失は長期にしかも被害が大きくなるのです。
日本では自由は何事にも代えられないと叫ぶ人が多いと思います。確かに自由という基本的人権を大事にすることは憲法の根本概念です。しかし自由を求めるのであれば、国や社会に対する義務を果たすのと一体でないといけないと思うのです。しかも、国民の命を守ることと自由を謳歌する権利とどちらが大事かと問われれば、命の方が大事だというのは当たり前だと思うのです。命を守るためにはある程度自由の権利を犠牲にしてでも社会のルールや義務を果たさなければならないこともあるのではないでしょうか。でも、今の日本には命よりも人権の方が大事と思っている人が少なからずいます。命より思い人権って何なんでしょうか? みんなの命を守るために不要不急の外出は自粛してくださいといくら言われても、営業自粛していないパチンコ店を求めて他県から車で通ったり、ストレス発散だと海岸に行楽に出かけてサーフィンをやる若者が後を絶たない一方で、どんどん感染者数が増え、著名人も死んでいく状況はやはり何かおかしいと思います。「日本は法律上ロックダウンのような強制はできない」と官房長官ですら前提にしていますが、法規制するぐらいなら国民を死なせるほうがましと言っているように聞こえます。自粛で効果がでないのなら、すぐに何らかの禁止措置を実施するべきだと思うのです。
なぜこういうかといえば、日本を除くほとんどの国は厳しい罰則付きの規制で感染防止対策を行っているからです。日本のニュースばかり見ていると感覚が麻痺するのですが、実際東南アジアの各国は感染拡大に歯止めをかけるのが成功しつつあります。新聞でコロナウィルスの国別感染橋上のリストが毎日載っていると思います。主要国家・地域の中で、タイ、香港、台湾、ベトナムといったところの感染者数は極めて少ないのです。タイは少し多くて、それでも4月22日の時点で感染者数が2826名、うち死者が49名です。香港が1029名で死者4名。対策に成功ていると言われている台湾では感染者数425名で死者6名です。日本を含め、欧米各国と比べると桁違いに少ないのです。しかも、ベトナムにいたっては、感染者数は268名で死者は何と0なのです。
私はベトナムと深い関係の仕事をしていますので、ベトナムの状況は刻一刻と入ってきます。これほど防止できているのは医療が先進的であるとか、衛生管理が行き届いているからではありません。ずっと観察していてわかるのは、ベトナム政府の対応の素早さです。一番最初に患者が出たのが1月の20日過ぎぐらいだったと思います。ハノイ郊外の日系企業のベトナム人従業員が中国での研修出張で帰ってきたときに発覚し、即座にベトナム政府はその患者が住んでいた村そのものをロックダウンさせたのです。それだけではなく、ハノイ周辺から1月末の旧正月終了後から学校が一斉に休校となりました。しばらく2週間ほど新たな患者でなかったのですが、欧州旅行から帰ってきたベトナム人が感染して、ベトナム航空機のビジネスクラスの周辺乗客に感染クラスターが起きたことで、政府の対応が一気に強化されました。同じビジネスクラスに乗っていた乗客全員を濃厚接触者として強制隔離、しかも住んでいるアパート全部を封鎖という素早い対応に動き、その後矢継ぎ早に飲食店やマッサージなど一斉に閉鎖命令、そして外国人のビザ停止と事実上の入国禁止へと動いたのです。そして現在なお学校は休校状態なのです。既に3か月学校は休みです。コロナ感染による死者が0でも全然規制を緩めていないのです。社会主義国だから禁止命令も簡単にできるという面もあるかもしれませんが、国民の命を守るための素早い動きを見るにつけ、なぜベトナムがアメリカや中国相手の戦争に負けなかったかという理由も感じられるのです。
ベトナム政府は、コロナ感染がほぼ沈静化に向かっていると判断しつつあります。最近入った情報では、油断はしないように慎重に構えていますが、状況をみつつ4月中旬ぐらいから地域ごとに学校の再開に動いているようで、同時に商店の休業解除の可能性や、ホンダなどの自動車工場も操業再開を認める方向が出ています。これほど厳しく統制している中で、韓国のLGやサムソンの工場で投入する韓国人エンジニアの入国を韓国政府からの強い要望で特別に認めるようで、このように日本が国内の混乱ばかりに目を向けて騒いでいる間に、海外ではコロナの感染状況の変化に合わせて経済が動きつつあるということを理解するべきです。一刻も早く感染拡大に歯止めをかけて他国から入国規制を解除してもらえるようにしないと、今後中国包囲網リスクで顕著になってくる東南アジア各国での事業強化戦略に多大なる遅れをとってしまいかねません。
こういった面もよく見てほしいのです。もっと世界をみてください。短期間に復活するには、一人ひとりが何をすべきなのかもう一度よく考えてみるべきではないでしょうか。