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ライドシェア解禁の議論に見る日本の産業停滞の原因

人口減少の影響がいよいよ国民生活の全体にまで広がってきました。労働力の減少、事業承継の問題と廃業の増加や、物流業界のドライバー不足など日々深刻化しています。飲食店やサービス関連事業、介護福祉事業などでは低賃金という業界構造からも、従業員を確保できないことによって、事業が立ちいかなくなっている企業や事業所が増え続けています。

政府は賃上げを声高に叫んでいますが、物価が上がって実質賃金が減少しているからといって、労働生産性つまり一人あたりの付加価値が上がっていないのに、賃上げを加速させていくと、企業にとっては原材料は変動費でも人件費は固定費であるため、さらに収益が悪化していき倒産が増加します。物価が上昇しても賃上げ効果で消費が落ちないのなら良いのかも知れません。しかし、ここまで円安が加速すると、日本人は外国と比較してどんどん貧乏になっている現状をまだ気づいている人が少ないです。

今後日本が生き残っているために考えなければならないのは、生産性をいかに高める産業を創出していくかにかかっていると思います。ところが、働き方改革の名のもとに残業規制や時短ばかりに目を向けていたことで、産業全体の国際競争力がどんどん低下してる原因となっているように思えて仕方がありません。

物流業界での2025年問題で、物流に携わる人材の不足が一層加速します。不当な長時間残業を強制するのは確かに良くありません。しかし、もっと自主的に働きたい人に対しても規制で一定時間以上は働けないようにしたり、扶養控除や社会保険料負担の免除によって生まれている年収の壁によって労働時間を意図的に抑える人が多い現実を考えると、労働力をもっと確保するための規制やルールは柔軟にかつ迅速に解消するべきだと思います。

このような国民のためにという名目で設定している規制がいかに産業を停滞させているかということについて、今話題のライドシェアの解禁という視点から考察してみたいと思います。

ライドシェア解禁は日本経済が復活するかどうかの試金石

今、日本でライドシェアを解禁するべきかどうかの議論が高まっています。もちろん規制によって守られてきたタクシー業界は死活問題に直結するので猛反対です。過去も何度か議論がありましたが、タクシー事業は認可台数や料金まで事細かく国交省が規制で深く関与してきました。表向きには乗客の安全性確保であったり、タクシー運転手の生活安定といった点から、過当競争を阻むためにも新規参入も簡単ではなく料金も認可制です。利用者の利便性や利益よりも業界の権益や運転手の生活を優先してきました。

ところがデジタル化の波と人口減少によるタクシー運転手の高齢化と減少は、タクシー業界の秩序を根底から破壊しつつあります。今や日本のタクシーはガラケーならぬ「ガラタク」といっても良いくらいに世界標準から取り残されているように思います。

海外に出張して仕事をしたことがある人なら、ほとんどはライドシェアの利便性については経験していると思います。ちょうど今日本でタクシー事業者のみのインフラとなっている「タクシーGO」を一般自家用車にも開放したようなものと考えれば良いと思います。スマホでどこからどこまで行くかを入力して配車ボタンを押せば、自動的に近隣で待機しているライドシェアの車とマッチングし、乗る前から車の番号とドライバー名と料金が表示され、ほとんど数分以内に待っているところまで来てくれます。そして目的地など一言も話すことなく運んでいってくれるのです。クレジットカードを事前登録しておけば何もせずに降りるだけです。ぼったくりはありませんし、下車後に評価を入力すると自動的に領収書がメールで送られてくるのです。もちろん日本のように迎車料金などはオンされません。

いいことずくめなのですが、利用したことがない人やタクシー業界の人たちは、素人の自家用車の運転手は不安だとか、事故したときに責任が取れるのかなどいろいろと問題点をあげつらい、何とかして解禁を阻止しようとします。しかし、日本以外の国ほ大半はライドシェアが当たり前の世界になっています。

例えばタイやベトナムの一部ではタクシーのぼったくりが蔓延していました。だいたいメーターを倒さずに、乗ったときに倍以上の金額だとふっかけるのです。だいたい観光客が多く集まるところにたむろしているタクシーはその傾向があります。私がベトナムにいたとき、たまたま大きなスーツケースを持ってジャケットを着ていた時にタクシーに手を挙げて乗ろうとしたら、カモだと思ったのでしょう。ベトナム語で250といったのです。25万ドンという意味でだいたい1200円ぐらいの金額になりますが、私が行きたいところと乗ったところからの距離は熟知しているだけでなく、ベトナム語もある程度できるので、思わず「今何と言った?なんでメーターを倒さない?この距離はメーターなら10万ドンぐらいやけど、だますつもりなら降りる!」とベトナム語で捲くし立ててドアを開けるとドライバーはびっくりした様子でした。こういった問題はライドシェアが導入されてからは一度も経験したことがありません。デジタル化のおかげなのですが、タイもベトナムも既存のタクシー会社の業績は大きく下降し、タクシー会社自身がGRABといったライドシェアアプリにも参加するようになりました。

当然日本のタクシー会社は危機感一杯かと思います。しかし企業の存在価値は社会にとって必要なのかどうかで決まります。どんどん技術進歩によって、今までのビジネスモデルが立ちいかなくなったとき、その変化を規制で止めるのではなく、自らどう変革していくしていくのかといった姿勢が必要です。これが日本の産業が置かれている停滞原因の一つです。

以前、牛乳は牛乳屋さんが新聞のように瓶を朝早く宅配してくれていました。小学校の給食も牛乳が一本必ず提供されていました。しかし今や牛乳屋という業態は亡くなってしまいました。保存技術が進展し、スーパーやコンビニ、自動販売機でパックに入った牛乳を買うのが当たり前になりました。今や牛乳を飲むという食習慣も大きく変化し、酪農産業も存続できるかどうか岐路に立たされているわけです。

牛乳屋の生活を守るために、スーパーの販売を禁止したでしょうか。パックでの牛乳販売を止めることができたでしょうか。タクシー業界は今や牛乳屋の運命と同じ立場にあるように思われます。

タクシー運転手の成り手がもほとんどいなくなっているのです。給料が安くて生活ができないから運転手を確保できないという意見がありましたが本質の課題はそこにはありません。人口減少でタクシーもバスも、そしてトラックの運転手もその仕事を続ける若い人材の絶対数が足りないのです。

そのために今起きている自体は極めて深刻です。地方では駅前にタクシー乗り場があるようなところでも、30分以上待っても1台もタクシーが来ません。タクシーの認可数を増やしても客数が増えるわけではなく、そもそも運転手を確保できないのです。観光地などでタクシー乗り場では長い行列が続いています。電車やバスがあればそちらを利用すれば良いのですが、ない場合はタクシーを呼ばないと移動ができません。電話しても空車がないと断られることが多くなっています。地方と観光地の交通インフラは業者が独占している中での運転手不足のため完全に麻痺状態に陥りつつあります。

地方の足、観光地の足を事業者だけに認可するのではなく、ライドシェアを自由化し、少しでもヒマな人で車を保有している人が、住民や観光客のたまの足として有効活用することで新たな市場が生まれると思うのです。

そうなるとタクシー会社の経営が成り立たなくなるでしょう。だからこそビジネスモデルを変えないといけないのです。初乗りに700円も取って、なおかつお客が注文をくれるのに迎車料金を取る殿様商売が異常です。宅配業界もドライバー不足です。タクシー会社もウーバーイーツや宅配便のオーダーをスマホで受けて物や人を運ぶようなニーズはまだまだ増えてくると思います。スクールバスの下請けもどんどんやればいいのです。

ドライバー確保のために思い切った規制緩和が必要

変化に対応できない国や業界は衰退することは恐竜時代から実証されています。ところが、今の日本人は世界一変化を嫌うといっても良いのではないでしょうか。しかし、日本人は明治維新後に欧米列強に対抗するため自らを革新してきた歴史があります。日本人は決して変化対応力がないはずがありません。単に危機感が薄すぎるのであって、既得権益にしがみつく傾向が強いからだと思います。

少子化が加速し人口減少が止まらない外部環境を正面から見つめ、自らの痛みを覚悟し、国が守ってくれるといった幻想を捨て去る覚悟が問われているのではないでしょうか。

社会インフラを支えるドライバー不足は、今まで享受してきた利便性を切り捨てる危機に直面していることを認識し、そのためにも特定業界に認可という形で国が関与している業界の参入自由化を一気に進める規制緩和がまず必要ではないかと思います。

そのためには、まず運転二種免許を全面廃止し、一種免許であらゆる営業運転も可能とすること。そのうえで、ライドシェアは全面解禁することで、一般人が自由にウーバーイーツのように物をデリバリーするだけでなく、スマホでのマッチングで人の輸送も可能とすることが必要だと思います。軽トラでライドシェアしてもらっても十分なはずです。

こうなると必ず事故のときの責任は取れないとか、事件に巻き込まれる危険性があると、先々の「~たらどうする」理論を振りかざす人が跋扈するでしょう。もちろん自動車保険は別立てで考える必要はあろうかと思いますが、いくらでも対応策はあります。これらの考えられるリスクのほとんどはデジタル技術で何とかなるものです。また、安全ではないからプロのドライバーのタクシーに乗りたいという人には、高い料金でサービスを提供すれば良いだけで、それは消費者の選択の自由で需要と供給で決まってくるものです。

ようやくライドシェアの議論が始まったところですが、何せ抵抗勢力の声が大きく、それに乗っかる議員が多いのも問題です。でも、このままでは、地方の足がなくなり、物流を支えるドライバーも確保できず、電車やバスの運転手も足らなくなって路線の廃止や減便の動きは加速していくことでしょう。

素人でも社会インフラを支える存在とならないと日本はもうもたなくなる危機感を改めて問いたいと思うのです。