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日本の将来はSTEAM人材育成にかかっている

最近STEM教育とかSTEAMという言葉を聞かれたことはありませんか? 昨今では猫も杓子もSDG’sが大はやりで、持続可能な社会を目指した企業の社会的責任として経営に大きな影響を与える課題として脚光を浴びています。それも大事には違いないと思いますが、企業が生き残っていくためには、社会的責任を果たすための前提条件として、グローバル経営環境下でイノベーションを創出できる人材育成こそが喫緊の課題であるという思いを持っています。

特に日本企業が競争力源泉として叫び続けてきたのは、技術や品質の高さによる商品力の優位性でした。ところが提供価値をモノにこだわり続けてきたことで、バブル崩壊後の二十数年どんどん高齢化が進み、イノベーションによる新たな付加価値を生み出せない多くの日本企業は、急速に競争力を失ってきました。

この根底にあったのは何が原因だったのでしょうか。日本人は、新たな市場を創出する能力において、これほどまで米国や中国に引き離されるほど劣っていたのでしょうか。日本人がいくら清廉潔白な精神力を持った国民性であったとしても、一人ひとりの能力において、正面から一対一で米国人や中国人、インド人とビジネスや技術開発で喧嘩して勝てるのでしょうか。最高学府の東大生がテレビのクイズ番組やバラエティ番組に出演して遊んでいる間に、研究開発力では欧米の一流大学との比較では足元にも及ばないどころか、世界ランクでは中国やシンガポール、香港、バンコクなどアジア各国のトップ大学にも負けているという現状は悲惨です。

つまり日本の教育は、もはや世界では勝てない人材しか育てられないレベルといっても良いのではないでしょうか。教育は国、社会を育てる根幹です。レベルの低い、質の悪い教育しか提供できない国の行き着く先は、国全体の没落ともつながっているのは間違いありません。

今の日本の教育が落ちぶれてきた根本問題は悪名高き「ゆとり教育」の弊害にあると思います。この教育を受けた世代が今企業を支える階層を形成するようになってきたことで、研究開発に限らずマネジメント力も低下傾向が顕著になってきたというのは穿った見方でしょうか。

「ゆとり教育」は詰め込み教育の弊害から生まれたもので、もっと「考える力」を養わせようという高邁な教育論から出てきたものです。これ自体は間違っていません。問題は「考える力」の教育を効果的に実践することなしに、同じやり方で「ゆとり」、つまり教科書を徹底して薄くして緩めてしまったことにあるのではないでしょうか。

本来どうあるべきだったのか、今後どうあるべきかについては、アメリカがやってきたSTEM教育、そして今世界を変えているSTEAM人材をどうやって育ててきたかを学ぶことで解決策が見えてくるように感じています。

日本はなぜ競争力を失ったのか

現在の製造業を始めとする産業界に携わっている人が感じている共通の課題認識があります。

「今まで技術力やモノづくり力で競合との差別化を強みに顧客価値を提供してきた。ところが最近は技術力や機能性に優れている商品を開発しても売れなくなってきている。だからさらに顧客が求めている優れた商品開発を強化していかなければならない」

この企業の考え方こそが国際競争力を失った原因ではないでしょうか。このために大企業は毎年理工系の技術者を採用し、商品開発に力を入れることで生き残れると考えていました。その結果、大企業が国際的に平均的な学力程度の学生でも根こそぎ採用し続けたことで、日本経済の屋台骨を支えてきた中小企業の技術力の強みが失われてきたのが日本産業界の姿です。

確かに理系人材は産業競争力を拡大発展するうえで極めて重要です。2000年当時の国際学力調査でアメリカはOECD28か国中、科学リテラシーで14位、数学リテラシーで18位で、さらにその後も転落、横ばい傾向が続きました。米政府は国家的危機感を覚え、STEM領域つまりScience(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の理系4分野の教育を拡充する取組みが強化されました。

理系教育の重要性は日本でも叫ばれていましたが、元々理系に進む学生が頭打ちであるとともに、少子化が加速する一方で、モノが売れなくなってきたこともあり、企業においても真の意味でイノベーションを創出する人材を育て、活躍する舞台を提供してこなかったことにも大きな問題があります。むしろ技術者を冷遇してきたことで、せっかく育った多くの技術者を韓国や中国にヘッドハントされるのを許してしまいました。結果的に強みである技術ノウハウもろとも海外へ流出し、自業自得のように競争力低下がブーメランのように返ってきているように感じるのです。

小学校の理科教育改革なしに産業再生は実現しない

今の親御さんが子ども時代がどうであったか振り返ってみたらわかりますが、理科が大好きというより、苦手もしくは嫌いだったという人が大半ではないかと思います。今、小学校での理科は3年生から始まります。そして中学生になるときには既に理科嫌いにしてしまっています。理科や実験、数学が面白いと感じない子どもにしてしまう教育は何かがおかしいのです。

本来、科学の不思議さや実験の楽しさ、驚きの喜びは子供たちの興味を掻き立てます。でも3年生から6年生の4年間の教育の結果、科学に興味を持たない中学生にしてしまうことが、日本の産業競争力低下とも無関係ではないような気がしています。

その根本原因は、小学校の先生そのものが理科が不得意だということです。カエルの子はカエルです。理科嫌いで育った先生や親自身が、子どもたちにきちんとSTEM教育できるスキルを持ち合わせていないのは当然です。少なくも中学校の先生は科目ごとに専門が分かれていますが、小学校は一人の担任が全教科を教えます。小学校の先生は小学校教諭という免許であり、理科の専門の先生ではありません。そもそも小学校の先生に、子供たちが興味を持てるような理科の教え方ができるスキルがある人はどれだけいるのでしょうか。

最近小学校でプログラミングが正式にカリキュラムに入ったということをご存知の方も多いと思います。でも、よく考えてみてください。今の小学校の先生に本当にプログラミングを教えられると思いますか? 「馬鹿にするな!」と先生からお叱りを受けるかも知れません。しかし、実際にプログラミングできる先生はほとんどいないのではないでしょうか。

最近、6年生の理科の教科書でプログラミングがどのように教えられているか見てみました。正直、こんなレベルではやらない方がましと感じました。3、4ページほどちょこっとプログラミングについて理論的な説明がされているだけです。教育コンテンツのデザインがあまりにも稚拙です。民間がボランティアでやっているプログラミング教室の方が余程実践的で面白いと思います。

小学校の理数教育の一番の問題、これはプログラミングもさることながら、「理科実験をほとんどやらない、やるスキルがない」先生がほとんどであるということにつきると思います。本来なら子供たちは科学や生き物に興味深々です。しかし、小学校の理科で実験もやらずに教科書を読んで理解させるという教育手法では嫌いになって当たり前とは思いませんか。今の小学校の先生がカエルを捕まえてきて、生餌をやることなどできますか?

幼稚園児は将来の科学人材としての無限の可能性

小学校で理科嫌いに育てて中学校に送り込む教育のあり方を何とかしないと、日本企業の競争力は地に落ち、国、社会はどんどん衰退していくでしょう。でも救いはあります。それは幼稚園児にかけることです。突拍子もないことをいうと感じておられるかも知れませんが、至って真面目な話です。幼児期の科学体験保育は国の将来を決めるといっても良いほど重要だと思っています。

不思議な話ですが、幼児は自然科学に対して興味深々で、科学の不思議さや生き物に日々目を輝かせています。大人はあまり虫やカエルを捕まえてきて、動物を触ることが苦手な人が多いと思いますが、幼児は昆虫やカエル、魚など触ることなど平気です。不思議そうにカブトムシの幼虫を触って喜んでいます。こういった自然界に触れることが科学の出発点なのです。つまり五感で感じる、実験する、なぜか考える、わいわい感じたことを話し合う、これこそ理科の面白さを感じる第一歩です。幼稚園は日々体験型教育を実践している生活の場です。その子供たちは科学体験や生きものを観察して目がランランとしているのです。幼児期の科学体験は将来の理系人材を育むための社会的意義が極めて高いと言えます。

しかし小学校に入った途端、教室に座らされて知識を教わるべく教科書で勉強するスタイルに変わってしまいます。しかも理科は3年生から始まり理科実験を体験する機会も少ない・・・理科は教科書から学ぶから嫌いになるのです。これで将来のイノベーションを支える理系人材は育つとは思えません。

21世紀の新たなSTEAM教育

STEM教育はいわゆる科学教育のコンセプトに基づくものでしたが、この理系技術人材を輩出してもイノベーションを創出することはできないのはなぜかという議論が起きました。最近の教育や人材育成の分野では科学のアートのつながりが注目されています。

なぜ技術力や機能性に優れた商品が売れなくなっているのか? それは顧客が求める価値は技術や機能よりも、主観や直感、感覚的なイメージと商品の共感性が大きな要素となってきたからです。今まで芸術家が使ってきた技術的スキルであるオリジナリティや、3次元での特性の捉え方、身体を使った近くといったビジュアルアーツ領域であるデザイン創出という空間的な知覚能力を、科学と一体化させるスキルが必須になってきました。

つまり理数能力に秀でた人材では十分ではない時代に変わってきたのです。ポスト情報社会に必要とされる人材とは、イノベーションを起こすマインドセットを戴したSTEM人材です。もちろん単なる文系人材はもうほとんど役に立たない時代です。文系、理系という区分はもはや意味がなくなってきました。STEM領域のスキルを持っているのはもちろんのこと、それだけではなくデザイン思考ができ、芸術的センスも持ち合わせた人材の創出こそが時代を生き残る条件になってきました。

これからの教育は、STEMプラスART、つまり「STEAM」人材をどう教育し、イノベーションに直結させていくかという考え方が一般化していきます。既にアメリカのシリコンバレーで急激な成長発展を遂げているIT企業群と、スタンフォード大学やベンチャーキャピタルが一体となった産業クラスターが米国経済のイノベーションを実現しています。具体的には、それらを牽引しているアップルやHP、NETFLIX、ORCLE、YAHOO,AIRBNB、FACEBOOK、GOOGLE,TESLA、UBER・・・これら創業して発展させた人材は全てSTEAM人材でした。

教科書を見る限り、文科省は理科教育に関して根本的にマインドセットを変える必要があることすら感じていないことに暗澹たる気分にさせられます。ただ、企業として、また社会人として未来の人材育成のために何をなすべきか、何ができるかについてまだまだやれることが多いと感じています。

これこそ次世代を担う子供たちに何を残していけるのか一人ひとりが問われているように思うのです。