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マーケティング視点からの大阪都構想の失敗原因

 

大阪市を廃止して4つの特別区に再編する「大阪都構想」の住民投票で再度反対多数となり否決されました。

私自身は大阪市の住民ではないので選挙権はありませんが、以前から今の政令都市制度には問題が多いと感じており、その一つが二重行政の無駄であることは明白です。今回残念ながら再び都構想が否決され、反対を選択した人の理由で最も多かったのが「大阪市がなくなる」という感情面だったことに、やはりこの住民投票はメリットとかデメリットの問題ではなく、人々が受けた印象が勝負を分けたということがはっきりしたと思います。

運動期間中、メディアが人々の声として何度も「都構想ってよくわからない、説明が足らない」と報じ、それを受けて維新の会や知事、市長が何回も丁寧に説明したにもかかわらず、いつまでもわからないと言われ続けていたのです。冷静に見れる他府県の住民や大阪市民以外の大阪府民にとっては賛成が多いのは事実で、十分すぎるほど理解されていると思います。

結局勝負を分けたのは大阪市が廃止されるということに対して、メリットをいくら説明したも感情が伴わない、つまり共感できないという心理的側面からのアプローチが決定的に間違っていたことが原因であろうと思っています。

日本人は元来良いもの(制度)を作ったら顧客は評価してくれる、何故ならその方が比較論でメリットがあるのが
明らかであるからという、旧来の製造業の視点で価値判断する人が多いのですが、その底辺に流れる上から目線の発想に気付かなかったことが悲劇につながりました。以前は競合より値段が安くて品質が良いものを作ったら売れるのは当たり前でした。しかし、今の時代、顧客(都構想では住民)はそれを買う(賛成する)とは限らないのです。

何を判断基準しているかといえば、製品(制度)の思想に共感できるかどうかです。いくら良い製品を作って(その基準自体メーカー発想)も、顧客がその製品の思想や込められた思いや理念に共感できなければ買わないのだということに気づけなかったのは、「マーケティング視点」で顧客視点(住民視点)住民投票を見れていなかったことに尽きると思います。

もし維新の会が一連の経緯を正しく反省し、原因を理解するには、「マーケティングの視点」から考えるべきです。確信をもって言えるのは、今回の住民投票には政治的駆け引きと同じ感覚で、メリット、デメリット論で推し進めてしまい、顧客つまり住民と共感するマーケティング論をほとんど考えずに進めた結果だと思うのです。おそらくマーケティングの専門家をほとんど活用しなかったのではなかったでしょうか。

実際、投票日一週間前あたりから賛否が拮抗してきたという分析があり、マーケティングの失敗のために一気に流れが変わってきたというのを街頭の雰囲気でも感じ、もしかすると否決されるのではないかと感じ始めていました。

では具体的にマーケティングの何が間違っていたのかについて私なりの分析をします

住民投票の投票用紙に記された投票テーマ

これは多くの人が指摘していることですが、この住民投票の正式名称は「大阪市廃止・特別区設置住民投票」でした。これは以前公明党が反対の立場だったときに、大阪市議会が陳情を出し賛成多数で「大阪市廃止」というのが冒頭にした名称となった経緯があります。

この経緯を受けて市長の指揮命令を受けない選挙管理委員会がその陳情通りに決めてしまったようです。松井市長や維新の会は名称が及ぼす心理的影響を甘くみていたと思います。これがもし「4特別区設置による大阪市行政再編の住民投票」というような「廃止」という文言を「再編」というような表現にしておれば住民の心理的影響は大きく変わり、おそらく結果は変わっていたかも知れません。公明党が賛成に回った時点で正式名称を再検討するべきでした。多分松井市長は公明党が賛成してくれたことで投票用紙の文言など問題はないと考えていたのではないでしょうか。マーケティング視点を重視し、時間をかけてでも心理的影響を最小にするために妥協はするべきではなかったと思います。

PR戦略の間違いと街宣の差

賛成派は最初から最後まで愚直でした。都構想による再編によって二重行政をしくみで防ぐことができるのでメリットが多いとの思いで、一貫して納得していただけるまで丁寧な説明を心がけた運動をしていました。

タウンミーティングを重点的に繰り返しやっていたのです。しかもコロナ対応で密集を避けるために市長や知事がどこで街宣するかという事前告知は行わない姿勢を貫きました。

その判断が間違っているとは言いませんが、通常の選挙とは違って、過半数の賛成票を獲得しなければならない住民投票のアプローチとしては弱すぎます。隅々まで共感してくれる過半数から賛同を得るにはタウンミーティングでは非常に非効率で、どのような形でも心理的感情に訴えるマスマーケティン戦略が必須なのに、反対派のアプローチと比べると極めてお粗末であったと思います。

毎日新聞による意図的な虚偽報道の問題が反対派が多くなった原因であるという人もいますが、最大の敗因は、むしろPR戦略と街頭運動の差にあったと思います。

1.PR戦略の間違い

投票日一週間前から反対派のTVコマーシャルが住民に強烈な印象を与えました。それまでは住民自身も大阪の将来を考えたときに都構想に賛成すべきかどうか悩んでいたと思います。しかし、このコマーシャルでは、「大阪市がなくなる!大阪市廃止を止める最後のチャンス」というキャッチフレーズで大阪市の市章が消えていくという画像でした。このコマーシャルで大阪市民の寂しいという感情、そして住んでいる愛着ある大阪市の名前を自ら消してしまう判断をしてしまうのは嫌だ、メリットがあるとかいう問題ではなくなってしまったのです。

一方、賛成派は維新が府と市の行政を一体でやってきたからこそ、こんな実績を上げたというメリット重視のアピールをTVコマーシャルでもやり続けていたのです。

賛成派は一般市民の心の中を読み違えていたと思います。もっと心理的に訴えかけるような未来の明るい未来を皆で一緒に作っていこう、東京なんかに負けてたまるか!といったような大阪人の琴線に振れるようなメッセージがほとんどなかったのが残念でした。大阪市がなくなる!という心理的悪感情を打ち消すような夢を前面に出すPR戦略がなかったのが一番痛かったと思うのです。

しかも、このTVコマーシャルだけでなく、決定的なネガティブな印象を与えたのが選挙管理委員会が採択したポスターのデザインです。「大阪市廃止・特別区設置住民投票」の見出しに続いてさあ投票に行こう!と、なんで恐ろしい表情のヒョウをバンと出していたのか理解に苦しみます。このポスターが地下鉄のあらゆるところに掲示され嫌でも目に入ります。これによって「大阪市廃止」=「恐ろしい猛獣」という印象を植え付けてしまっています。

なんで賛成派はこれを認めたのでしょうか理解に苦しみます。

2.街宣の存在感が低かった

私自身は賛成派なので、運動期間中に苦々しく思っていたのが、反対派による繰り返し駅や主要ターミナルで幟を上げてビラを撒いて反対を連呼し感情に訴える姿が極めて目立っていたことです。ビラには誹謗中傷やウソばかりが書かれていましたが、一日行くところ全てで反対派の街宣に遭遇しますと、賛成派の人もだんだん気持ちが揺れてくるのは致し方ないのでは思うこともありました。

賛成派で街宣運動をされている方もそれなりに努力をされていたようですが、あれほど地方選や国政選挙で維新の会の方々が必死に選挙運動されているのと比較して、どうもおとなしかったという面は否定できません。もし衆院解散が同時に行われていたら、国会議員はもっと必死に動いただろうと思います。実際公明党の動きはほとんど見えませんでした。

いつも駅でビラを配っているのは反対派ばかりで、賛成派は広報カーに乗って賛成票をマイクで訴えるだけという印象でした。私が見たのはほんの一部だけだったかも知れませんが、勢いの差は歴然としていました。

理解されにくい都構想という上から目線の造語

そもそも都構想というわかりにくい造語を行政組織改革の一丁目一番地に据えたことが住民から理解を得らえなかった原因の一つです。「都」というのも東京と比較して同じなのか違うのかわからない言葉になりますし、「構想」というのは非常に抽象的な役人や政治家、企業の経営企画が使いたがる単語で、「何かわからないけどそんな感じ」という意味が構想に一番近い表現です。

だから何度も説明しないと理解されないし、丁寧に説明して理屈は納得してもらっても共感が生まれないのが「都構想」というものの造語の本質のように思います。「都構想」を行政の効率という点からのメリットを強調すればするほど、人心はついてこなくなり、行政手腕として知事や市長の業績を高く評価して選挙で圧倒的に勝利を収めても「都構想」に共感が生まれない根本原因はこの造語にあるという気がしてなりません。

これが「東京がなんぼのもんじゃい!世界をリードする大大阪の復活を目指す新行政区への再編住民投票」というような大阪人の心に灯をつけるようなキャッチフレーズで、夢をかたるマスマーケティング戦略を実践しておれば絶対に勝てた住民投票だったと思っています。

結果として非常に残念ですが、納得まで説明するという手法は心理的共感のアプローチを軽視したことの反省として、今後とも維新の会には頑張ってほしいと思っています。