四国霊場八十八か所~バイクDEお遍路ついに結願
四国霊場八十八か所をバイクで巡るお遍路の旅が3年がかりで遂に「結願(けちがん)」となりました。元々は亡くなった父がお遍路の結願証を額に入れて飾っていて、浄土へ旅立つ時にお大師さまに導いて頂くために着せてほしいと御宝印を戴いた白衣を残していたので、何となく軽い気持ちからでした。
最初は日帰りのお遍路バスツアーに参加して、1番札所から7番まで巡礼して納経帳にご宝印をいただいただけでしたが、中途半端に終えたくないと思い、時間のあるときにバイクツーリングを兼ねて八十八か所全てを回ろうと始めたのがきっかけでした。
3年もかかったのは、徳島の難所の一つである太龍寺の山上でバイクのハンドルを固定しているネジが外れてエンジンキーがシリンダー内で折れてしまい、山を下りることができなくなったトラブルに遭ったためでした。もし走行途中でこのトラブルが発生していたらおそらく谷底に落ちてしまっていたのではないかとぞっとしました。幸いにも太龍寺のご住職が親切にしてくださり、たまたま山上まで上がって来られていた寺大工の軽トラに4人がかりで200キロのバイクを積んでJAFが来れる麓まで下していただくことができ、そこからJAFに運んでいただき何とか阿南市のバイクショップで修理してもらえることになりました。
当然バイクで帰れないので、バイクショップのご主人にホテルを手配して車で送っていただき、翌日長距離バスで帰宅することができたのです。修理はキーシリンダーを交換しなければならないため、自宅からスペアキーを送り、3週間後にようやく修理が終わり、またバスに乗って引き取りにいってまた太龍寺までお礼しに行ってバイクお遍路を続けるという体験をしました。
このお遍路を通じてお寺の住職やバイクショップのご主人の他、徳島の人たちの親切に触れ合うことができ、四国が大好きになる出来事となりました。その後も何回かに分けてフェリーで愛媛に入って四国山地を縦断するルートを走ったり、明石から淡路鳴門から一気に室戸、足摺岬まで延々と走りました。八十八か所それぞれで感じることがありました。
八十八か所霊場巡りの
そもそも四国霊場八十八か所巡りは、今から1200年前、弘法大師(空海)が42歳のときに人々に災難を除くために開いた霊場が四国霊場で、その後弘法大師の弟子が大師の足跡を遍歴したのが霊場めぐりの始まりと言われています。
いわれは諸説ありますが、人間には88の煩悩があり、八十八か所の霊場を巡ることによって煩悩が消え、願いが叶うとされています。
先月ようやく最後の88番札所の大窪寺を参拝することができ、ようやく3年がかりのバイクDEお遍路が結願となりました。私のお遍路の旅は途中でしたが、今から2年前に父親が亡くなり来月で三回忌を迎えます。最後は煩悩が消えた安らかな表情でお遍路の白衣を着て旅立っていきました。
私自身は弘法大師が開祖した真言宗の信徒ではありませんが、お遍路の旅を通じて弘法大師の教えについて触れることができたと思います。特に十善戒という弘法大師が残した「諸戒は十善を手本とする」という仏教の教えで人がしてはいけないこと、お遍路が守らなくてはならない戒律が常に念頭にありました。
1.不殺生 (生き物を殺さない)
2.不偸盗 (盗みをしない)
3.不邪淫 (ふしだらなことをしない)
4.不妄語 (嘘をつかない)
5.不綺語 (お世辞を言わない)
6.不悪口 (悪口を言わない)
7.不両舌 (二枚舌を使わない)
8.不慳貪 (欲張らない)
9.不瞋恚 (ねたまない)
10.不邪見 (不正な考えをしない)
やはり人生において十善戒の教えを身につけた生き方ができれば「煩悩」から解放されるんだろうなということは何となくわかったような気がします。
結願を迎えた今、この10の戒めに恥じない言動ができているかといえば、まだまだ未熟者だなと実感せざるを得ません。どれとどれができてないか? それは自己評価ではなく、周りの人がどう見てくれているかということだと思います。
そして、八十八か所を巡って結願となったとしても、最後に高野山にお礼参りが残っています。大師様が入定されて今なお高野山奥之院の霊廟において現在も禅定を続けているとされています。
改めて八十八か所霊場巡りの締めくくりとして再来週に高野山に参拝することにしました。
これでいったん一区切りとなりますが、その後人生の締めくくりに向けて、西国三十三か所もバイクで巡礼の旅に出たいと考えています。