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次世代につなぐ付加価値

休暇を利用して久しぶりに家族で立山黒部アルペンルートを旅行してきました。私が子供の時、関西電力に勤務していた父に連れられて、黒四ダムに行ったことがありますが、立山側に抜ける室堂や弥陀ヶ原には行っていませんでした。今回は富山側からアルペンルートを通り抜け、日本で最も高い2450Mにあるリゾートホテルのホテル立山で一泊して、二日目にトロリーバス、ロープウェイ、ケーブルを乗り継いで黒四ダムを改めて訪れることができました。さすがにすごい人数の観光客でいっぱいで、天気に恵まれて雄大な景色を堪能し、涼しい休暇を過ごすことができました。

日本では誰も知らない人はいない黒四ダムですが、改めてこのダムの巨大さと迫力に息を呑みました。このダムの建設は私が生まれる前の1956年に着工、なんと171人の殉職者と7年の歳月をかけて1963年に完成したことを知り、先人達の努力と、この極寒の地で破砕帯の難工事を突破してトンネルを開通させ、ここにこの巨大建造物を作り上げた知恵、そして使命感、付加価値の高さの前に言葉を失うほどでした。

今でこそ電力源は多様化し、このような巨大ダムの建設を必要としなくなっています。しかし、戦後復興とこういったダム建設など社会インフラの整備に、私たちの祖先が頑張ってくれたからこそ、その後の日本の高度成長につながり、富の蓄積のおかげで今の日本の成長した姿を享受できているということを感謝しなければならないと改めて思いました。

次世代に付加価値をつなぐのは今を生きる我々の責任

どんなに事業に成功した人であったとしても、今を生きる我々一人ひとりの存在は、祖先が残した資産なしにありえません。「自分は親から遺産などもらっていない、一人で無一文から今の富を成し遂げた」と事業の成功者で言われる方がいます。しかし、ゼロから価値を生むことなどあり得ないのです。必ず誰かが築き上げた技術や資産を基盤に、それを利用してその上に新たな価値を付加することに成功しているに過ぎないのではないでしょうか。先人の世代が今を生きる子孫である我々に残してくれた資産のおかげなのです。その社会インフラの蓄積や付加価値があったがゆえに、教育を受けることができたことにより高い付加価値を生む職に就くことができたのです。便利な交通インフラの利便性を享受できているのです。戦後社会の復興と企業経営者の努力による企業発展で国民の富が築かれ、今の生活の質が維持されていると思うと、現世代を生きる我々として、いかにして次世代を支える子孫に付加価値を高め発展させていくかというのは大きな責任です。

個人の権利を主張しすぎではないか

最近、国や社会の発展よりも、個人の権利が大事という風潮が強まっていることに違和感を感じることが多いのです。我々が今の生活を享受できているのは、祖先が残してくれた付加価値のおかげであることは紛れもありません。しかし、昨今子孫のことよりも自分の権利や満足感だけを主張する人が多くなっていると感じます。

今後日本は確実に人口が減少します。加えて社会を支える現役の生産労働人口の比率の減少は総人口減少率よりも遥かに大きいのです。次世代に富をつなぎ残していくには、GDPの伸び率をプラスにすること、つまり一人あたりの付加価値額の伸びを労働人口減少分以上に上げ続けていかねばなりません。

一人あたりの付加価値額とは、今話題になっている「生産性」と同じ意味です。最近、国会議員が書いた雑誌原稿の中で、LGBTは「生産性がない」ということの論調が大きな批判となっています。私は、「生産性」という言葉の使い方とLGBTという性差別の問題を混同したことに問題はあるとは感じましたが、「生産性」を高めることは社会レベルを維持していくうえで逃れられない重要な条件であることは、少子化で産業への労働力投入が減少していく中で改めて認識するべきだと思っています。

基本的人権を守り、社会から差別をなくしていくことは大事だとは思います。社会的弱者のために税金を投入し共同社会を維持していくことは正しいと思います。但し、それを実現するには、国民が生み出した付加価値から社会維持コストとして税金を確保できることが前提です。しかし、どうも最近では、TAX PAYERの声よりも、人権を旗頭に既得権側であるTAX EATERの声ばかりが強調されている印象があります。今回のLGBTの問題を性差別の視点で捉えてしまいますと議論が噛み合いません。むしろ、今を生きる我々の権利の視点だけではなく、我々の子孫に対する責任という面からも考えてみるべきではないか思います。単に子供を産まないから生産性がないという論点は暴論ですが、差別をなくすために国社会として努力しコストをかけていることも理解すべきであり、メリットを受けている対象者自身も、それをいかに次世代の国民や社会に還元していくか、どのような付加価値をどう残していくかについても考えてもらいたいと感じた今年の夏でした。