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少子化人口減少に対する危機感

中小企業に必要な3つの支援スタイル

少子化対策として政府も抜本的な政策を導入するとしながらも、相変わらず問題の本質がずれているように思えて仕方がありません。政府が対策として取組むのは、だいたい子育てしやすいようにと教育無償化など子どもを育てるコスト負担軽減のための補助金政策から抜け出していないように思えます。

なぜ少子化に取り組まなければならないのかという理由は、明らかに人口減少が加速することで、将来の国を支える働き手が不足し消費市場が縮小するため、経済規模が縮小し国力が衰退するからです。確かに子育て世帯の家計を税金で応援することで、子どもを産み育てる動機が高まる効果はあるでしょう。

しかしながら人口減少を食い止めるには、単純な算数で誰でもわかることですが、男性と女性の2人から2人以上の子どもが生まれることが前提となります。独身の男女やLGBTの人たちからは、個人の価値観とは関係なく子どもができないのは当たり前のことです。結婚している男女が子どもをつくるかどうかも個人の価値観によるものなので、どうこう言うべきことではないとは思っています。

ただ結婚願望がありながらも出会いがないとか、収入が十分でないことで結婚を諦めている若者層に対する様々な支援や、子どもが欲しくてもなかなか授からない既婚者に対する不妊治療の公的負担などの充実の方が短期的な政策効果が高いように感じます。ただそれでも人口減少のスピードを少し押さえる程度ぐらいしか期待できません。その結果、日本の社会、産業構造がどうなっていくのか、このままでは国がもたなくなるという国民一人ひとりの危機感があまりにも乏しいように感じるのです。

将来の予測ではなく、確定している現実にどう向き合うかの覚悟が必要ですし、そのために国民最大多数の幸福のために何をどう変革するべきなのでしょうか。

高齢者は若者たちの足を引っ張るべきではない

私自身はまだ後期高齢者ではありませんが既に高齢者の範疇に入っています。高齢者福祉は国の政策で重要ではあることに異論はありませんが、今の少子化社会を作ってきたのは我々高齢者自身であるという自覚が必要だと思います。人口構成から今の労働者人口の比率では社会全体を支えることは難しいのは明らかです。本来ならば高齢者福祉にかかる財源を削ってでも少子化対策に振り向けるべきです・・というと大批判を受けます。

年金生活者は常に弱者として扱うのが社会的常識になっています。エネルギー高騰などいろんな場面で年金受給者には給付金が出ます。でもこんなんで良いのでしょうか。年金受給者の多くは年金以外に収入がない人が多く住民税非課税となっています。でも資産や貯金を持っている人がかなりの比率を占めています。その年金給付原資は現在の現役世代からの年金掛け金からであり、現役世代の多くでは持ち家もなく、非正規のパートでも社会保険を負担しなければならない構造はもうもたないように思えてきます。

自分でも自覚することがありますが、高齢になればなるほど思考が硬直化してきます。世の中の変化に対応しきれないだけでなく、社会発展への革新取組みを阻害するような言動が目立つようになってきたように思います。安芸高田市の優秀な若手市長に態度が気に入らないとして、機能不全を起こしている高齢者主体の市議会員の言動はあまりにも恥ずかしいです。

「年寄は早く死ねというのか!」と激怒される人が多くいると思います。でも高齢者の一人としてあえて言いたいのです。「子どもたちのために生きよ!」「子どもたち世代の足を引っ張るな」・・と。自分の魂はどういう使命を与えられこの世に生を受けたのか、身体はあくまで魂がその使命を果たすための借り物にしか過ぎないということを最近深く考えます。私が使命を果たせたと悟ったときにお迎えがくると思い、子どもたちのために何ができるかを常に考えています。

少子化社会で覚悟すべき社会構造の変化

少子化が進む日本の未来は大変厳しい状況です。昨今、物価高騰の影響もあり、賃上げの要求が強くなってきています。賃金は労働価値に対する対価ですので、政府が賃上げを要求したから上げるというものではなく、労働市場の需給バランスで決まってくるものです。必要とする労働力を確保しようとしたとき、その労働供給力が不足すると賃金は自然と上がりますし、雇用状況が悪化して求人が減少すれば賃金は上がりません。

求人が減少する原因は、需要の縮小や産業競争力の低下による収益の低下です。少子化が加速し労働者人口が少なくなってくるにつれて、通常は賃金が上昇していくはずですが、IT技術や生産性向上の遅れによって国際競争力が高まらない中で、資材高騰と賃金上昇が重なるとさらに収益性が悪化します。そうなると不況の悪循環に陥ってしまい、優秀な人材は海外へ流出して国内産業は益々空洞化が進み、社会全体が貧しくなっていく変化に直面することは確実です。

そういった社会変化による未曾有の衰退を避けるための対策としてはどのようなものが考えられるのでしょうか。

それは社会全体の流動性を高めるため、産業創出のための補助金でなく規制緩和・撤廃、外資の誘致導入、行き過ぎた労働規制の排除など「資本と労働」の自由化に向き合うことであると思います。特に少子化によって社会インフラとしての機能不全が顕著になっている公共交通、物流、運送には抜本的なメスを入れるというよりも、ライドシェアを含む参入の自由化による運転ドライバーの確保に取組まないと産業の血流が詰まってしまう懸念を感じます。

規制の恩恵を受けている既得権益で事業を行っている事業者にとっては、参入の自由化などはもってのほかと大反対の声を上げますが、実際地方に行くとタクシー乗り場には1台も止まっておらず、物流ドライバーも不足してモノが運べない状況が日々深刻化しています。外国に仕事で行くといつも感じるのですが、ライドシェアはもう当たり前の交通インフラになっています。高速バスの停留所で小包を託送したり、いつでもどこでも行きたいところにちょい乗りできるバイクタクシーにレターを市内宅配させたりできるので、よほど日本より機動的な運送や移動が可能です。日本で今だ認められないのは、白タクは悪だとの固定概念や安全性に対する不安と、業者の反対を行政や政治が忖度しているだけに過ぎません。安全でないから使いたくない人は高い料金を払って通常のタクシーを利用すれば良いだけで、リスクと利便性は利用者の判断に任せるべきだと思うのです。

働き方改革のための残業規制も行き過ぎのところがあると思います。どう働くかについて自由度さえ保証すれば、あとは個人の自由に任せれば良いと思います。残業時間も使用者が強制すべきではありませんが、副業もどんどん解禁になっている中で、どこでどれだけ働くかは個人の自由裁量であるべきです。過重労働を防ぐという大義名分で政府は個人の労働時間に不当に介入するのは行き過ぎだと思いますし、もっと稼ぎたい人には頑張ってもらえるような労働者自身の労働時間管理であっても良いと思うのです。そうすることによって一人あたりの付加価値である生産性はかなり高くなり、国際競争力の強化にもつながるように思えてきます。