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次世代の企業と社会の命運を握る理数人材の育成

私の事業の経営理念について今年度からブラッシュアップをしました。今から7年前に中小企業の海外展開支援専門のコンサルティング事業を創業したとき、培ってきた海外経営、特にベトナムの専門家として、日本の中小企業がベトナムに進出して事業に成功することで、ベトナムの企業、社会、そして国民とともに成長発展していくために貢献していきたいとも思いを経営理念の根幹に置いていました。

その理念について大きく変わったことはありません。しかし単に日本企業がベトナムに展開するというのはグローバル事業における一つの経営戦略のあり方です。そもそもなぜ企業が海外で事業を行うのか、海外の方が市場が大きく、ビジネスチャンスがあり売上と利益を確保しやすいからというのがその理由なのでしょうか。

突き詰めて考えた末にたどり着いた思いが、本来の企業としての社会的責任を果たすための存在価値は、決して成長を求め利益を上げることだけではなく、雇用や商品による価値を提供することで永続的に社会全体に貢献することであり、今を生きる私たちの責任は子孫世代へ企業と社会を承継していくこと、つまり「次世代につなぐ」こと以外にはないと確信したのです。

その社会的責任を担う企業の成長発展を支援する事業、とりわけ承継していくためには市場だけでなく経営資源もグローバルな視点が欠かせない企業にとって、次世代に人と組織をどう承継していくか、その支援パートナーであるべきであるという思いを極めていきたいと考えました。

子どもたちの世代にどう責任を果たすのか

子孫を残すことが未来の国、社会を築き発展させていく基盤であり、少子化は社会全体を縮小に向かわせる大問題であることは誰の目から見ても明らかです。ところが少子化の問題が取り上げられるたびに、結婚をするしない、子どもを産む産まないは個人の価値観であって、男女が結婚して子どもを産み育てるという家族的価値観に立って社会を発展させていくべきという意見に対し、LGBTなどの価値観を重視する人々によって批判の矢面に立たされる風潮がここ10年ほど強くなってきたように感じます。

LGBTの考え方や価値観を差別する意識は毛頭ありません。これらの考え方のベースにあるのは誰もが自分らしさを大切にする時代を生きていきたいというものです。それ自体は素晴らしいとは思うのですが、それを阻むあらゆる制度や考え方は一切認めないという考え方が支配的になってきました。しかし私が受ける違和感は、今を生きる私たちの権利だけを主張しているだけで、私たちは脈々と先祖から代々世代を受けた親から生まれ、そして子孫につなげていく責任をもった存在であるという意識が希薄な人が多いように思うことです。

私たちが文化的生活やインフラ、技術を享受し、教育を受けて社会人として収入を得ることができているのは、先祖や親の世代が努力し、必死になって現在を生きる私たち子孫に投資して資産を残してくれたおかげであることは間違いないのです。私たちは決して一人で大きくなったわけではありません。日本は先の大戦で大きな犠牲を払いました。今の日本人の大半は戦争体験がありません。しかし今の日本があるのは、長い歴史の中で親や祖先の世代の子孫のために払った多大な犠牲の上に存在しているのです。以前鹿児島の特攻記念館を訪れたとき、多くの10代で散った特攻隊員の写真、親や妻子に残した遺書を見て言葉がありませんでした。

現代を生きる私たちはあまりにも傲慢になりすぎたのではないでしょうか。自分のさえ良ければそれで何が問題かと考える人が多くなったように感じます。「自分らしさを大切に生きていきたい」と主張する人たちから、祖先をどう大切にし、子どもたちの世代にどう責任を果たすべきかという考えや、少子化問題にどう対応していくべきかとの意見を聞いたことがほとんどありません。彼らはまず自分が一番大事なのです。子どもを持つかどうかは個人の選択であり権利であることを否定はしません。しかしその結果として少子化によって人口が減少して社会全体が縮小し、国力が低下するのは明らかな未来図です。

子や孫たちの世代がどうなろうと知ったことじゃない、自分たちは今まで納付してきた以上の年金給付を、人口減少させた現役世代からの年金掛け金や税金からもらう、こんな国や社会が持続するわけはないとは思いませんか。LGBTの権利を主張する人たちからは、バイセクシャルやトランスジェンダー同士の一部のカップルを除き子どもは生まれません。その生き方を否定はしませんが、その方たち自身も社会全体の子供たちの世代に貢献できることはあるはずです。

社会をいかに次世代につなぐか、ここに今を生きる私たち一人ひとりに責任があるはずです。

理科系人材育成への貢献

私は元々工学部卒の理系人材ですが、社会人になってからは畑違いの経営企画系の国際業務が専門となっていました。文系、理系双方の観点から仕事をしてきた者として、今後の社会を次世代につないでいくために何が一番大事かということについて一つの確信があります。

それは理系人材の育成にもっと国全体として力を入れるべきということです。この30年以上日本の競争力がどんどん低下している原因を考察しますと、科学教育、数学教育の低下と連動していることがわかります。IT革新やネットビジネスを牽引してきたのは明らかに理系人材です。米国や中国などと比べて競争力が落ちてしまったのは、大学教育の質低下もありますが、企業自身が理系人材をないがしろにしてきた結果でもあります。

大学教育や社員教育の問題は今回はあえて触れませんが、少子化の加速による社会衰退を防ぐには一人あたりの付加価値を上げる以外になく、その付加価値源泉はテクノロジー革新能力であることを考えると、企業としてやるべきことは、一人でも多くの次世代を担う子供たちが科学に興味を持ち、理数能力を高めるためにどう貢献するについて行動を起こすべきだと思うのです。

実際理数教育を専攻していない小学校や幼稚園の先生にとっては、子どもたちに理科実験や必須となったプログラミング学習のノウハウが不足しています。こういうときこそ企業の社会貢献は大きな意味があります。学校への出張授業や理数に関する課外活動のボランティアでも結構です。企業としての会社見学で工場や実験ラボを見てもらうことは、子供たちが将来エンジニアになりたいと思うきっかけとなるかも知れません。

少子化対策は国だけが税金を投入して取り組むものではありません。企業自身にとっても、国民一人ひとりにとっても、どう次世代の人材育成に関わり貢献していくべきかを考え行動することが、国・社会の発展と未来への架け橋につながるのではないでしょうか。

個人の権利主張よりも未来への責任を果たす生き方を選びたいと思っています。