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社会資源を利用するだけで価値を生み出せない企業の運命

企業は社会の発展に貢献してこそその存在価値があります。儲けられるなら何をやってもいいわけではありません。法律を遵守せず、地球環境に悪影響を及ぼしたり、詐欺的な事業や不当な労働環境で従業員を働かせたりするなどして利益至上主義で批判されている企業が後を絶ちません。こういった企業は社会に存在してはいけないのです。なぜなら企業は、他人や前の世代が懸命に作り上げてきた資産を利用させてもらって、顧客が求める価値を生み出し、その対価として利益を得ているからです。どんなに素晴らしい有能な経営者であったとしても、一人で無から有を生み出して価値創造できることは全くないといっても良いでしょう。今までに生み出させた価値、技術にさらに新たな工夫と改善から、新たなニーズに合致した価値を提供することがビジネスの基本です。

ところが成功した経営者の中には、全て自分の力だけで成し遂げたと錯覚している人がいます。企業経営の業績格差は、経営資源を活用しその活用の優劣で決まります。その経営資源には、いわゆるヒト、モノ、カネ、ノウハウという4つの資源の強みを生かし、達成するべき顧客価値提供を競争戦略で勝ち抜いていかなければなりません。しかし大企業でもこの経営資源全てにおいて秀でているということはまずありえず、強み弱みを提携や人材育成で補強することで顧客価値を創造し、その強みを生かした競争戦略で市場を確保していく経営戦略を実践するのが経営の本質です。

ところが多くの企業経営者が誤解しているのは、経営資源を獲得して業績を上げたことを自分の実力によるものだとの思い上がりです。オーナー経営者の企業であったとしても、創業者でない場合は、ほとんどが先代までの経営者が作り上げ蓄積してきた資源を土台として事業ができているのです。たとえ以前の経営者の戦略が間違っていて、それを徹底して否定、排除して負の遺産を克服して業績を上げたと自慢している企業経営者がいます。こういった経営者の実力はたいてい大したものではありません。

ヒト、モノ、カネ、ノウハウといった経営資源は、いくら対価を払って活用したとしても、それは決して自分の私有物ではないという考え方が必要です。その対価は、社会が生み出したものを一定条件で利用させていただいるだけです。人を雇用し、給料を払っているからといっても、その従業員は経営者の所有物ではありません。その「人的資源」は経営者が作り上げたものでもなんでもなく、あくまで人が生み出す労働価値を利用する対価として給料を払っている考え方に立つべきです。「人的資源」は、だれが作ったかといえば、私たちの祖先が教育体制を整備し、子孫は教育投資をしてくれたからこそ、企業にとって有益な能力を提供してくれる人材を確保できているだけなのです。つまり国や社会、祖先が作ってくれた社会基盤が「人的資源」であるということが言えるのではないでしょうか。

つまり企業は、他人が築き上げた「人的資源」を利用するだけでは社会的責任を果たしているとは言えません。企業にとって最も重要な社会的責任とは、ヒト、モノ、カネ、ノウハウといった経営資源を強化充実させ、次世代に引き継いでいくことだと思うのです。社会から提供してもらった経営資源を利用するだけ利用し、国から補助金をいっぱいもらって、かつ低い生産性で十分な利益を上げられず、赤字続きで納税も十分せずに社会に還元できていない企業はそもそも存在価値がありません。また少子化で事業を継ぐ人を確保できず、かといってM&Aで他に譲渡するくらいなら廃業した方が良いと考えている企業が多い状況を何とかしないと、せっかく社会として築きあげてきた社会資源をむざむざ捨ててしまう大きな社会的損失です。

企業の人的資源を無駄にする経営は許せない

特に強調したいのは「人的資源」の能力、質を高めるためには、企業に課せられた責任が非常に大きいものがあるということです。国・社会、個々の家庭が教育に莫大な時間とカネを投資して、子供たちを自立した社会人として育てることに努力を重ねてきました。子供たちは国の宝であり、将来の社会を支える基盤です。少子化問題は、社会を支える人口が減少することで社会の維持コストを国民だけで確保することができなくなる極めて深刻な事態です。

この人的資源を築き上げるにあたって、企業は果たして十分な責任を果たしているといえるのでしょうか? 一部の企業ではCSRの取り組みにおいて教育貢献活動を展開しているところはあります。しかし、今の小中学校が抱えている様々な問題や大学の教育の質強化に向けて、どこか有益な貢献をしているところがありますか? 地元の学校の児童生徒の学習環境の改善に何か役に立つ活動をしていますか? 教育無償化といったことについても国や自治体に納税者として要望するだけで、企業経営者や社会人として、真剣に子供たちのために何か支えとなっていますか? 教育の質低下が叫ばれていますが、企業は要望する立場で何もしないということが許されると思われますか?

企業は国・社会が育てた若い人材を給料を払って利用しているだけで、その有益な人材を社会人として教育し、能力の高い人材を輩出する取り組みをやっている企業は非常に少ないのです。直接生産性を高めることにつながる従業員の社内での人材育成すら十分な投資を行っていないのは、社会に対する裏切りであるともいえます。次世代に有能な人材を育てつないでいくのは、企業がもっとも真剣に取り組まねばならない貢献活動であり、企業の社会的存在意義の一丁目一番地です。たとえ企業に寿命があって事業承継がかなわないような事態が想定されたとしても、企業経営者は会社を閉鎖する日まで従業員の育成に全力を注ぎ、倒産廃業後も育てた人材が転職先で高度な価値を提供できるようにすることは、重要な社会的責任ではないでしょうか。

もちろん、ヒト以外のモノ、カネ、ノウハウにしても、他社が築き上げた社会的価値を利用して蓄積できた資源であることを考えますと、次世代に向けて充実強化させて従業員や家族、承継する企業へつなぐことの責任は計り知れないのですが、昨今の特に大企業の社会的責任を果たせていない体たらくを見聞きすることで、暗澹たる気持ちになることが多くなってきました。

大企業は中小企業以上に社会発展に対する責任があります。特に、資金やノウハウ、ブランドの強みを生かして社会の経営資源を潤沢に利用できる立場にある大企業は、自分の業績だけのことを考えた経営では社会的責任を果たしているとはいえません。社会全体をどう発展させていくのか、どう新たに革新的な価値創造を世に提案し、顧客価値の提供をリードするのかというグローバルな社会的責任を自覚するべきなのです。そのためには、特に社会の変革をリードできる人材を輩出し、新たな産業を創出できているかでその企業の価値が決まってくるように思うのです。

ところが特に日本の経済発展をリードしてきていた大企業の体たらくは目を覆うばかりです。自身の出身業界も典型的であるのであまり言いたくはないのですが、グローバルな視点から日本の大企業の経営を見ると、あまりにも人材マネジメントの質低下と価値創造力の低下、視野の狭窄化と変革マインドの欠如の点で、外国企業との格差が目立ってきているように感じるのです。

今、ヒトが足らないという現場の実態がある一方、高年齢層のリストラがまた加速し始めています。通常、大企業は人不足の中、新卒などの人材を根こそぎ採用していきます。その結果、中小企業はいくら募集をかけてもほとんど応募がなく、その結果コア人材を確保、育てることができないまま技能承継も経営力強化も進まず、止むにやまれず外国人の高度人材採用に取り組むようになっていました。ところが、大企業はそうやって採用した大卒人材をきちんと育てきれずに、また人材の最適配置によって新たな事業に取り組んで新規市場を開拓する戦略も満足に実践できないマネジメント力の低下によって、いわゆる「働かない高賃金の中高年人材」が滞留してしまい、ライフプランの名のもとに、他企業に出向させたり早期退職によるリストラをやっているのが大企業経営の本質です。

こんなことをやっていて日本の企業競争力は本当に高まると思っているのでしょうか? 社会が育てた新卒人材を根こそぎ採用しておきながら、自社の経営戦略のまずさから生かしきれずに人材の持ち腐れを起こし、その結果退職に追い込まれる人材が増えているのです。これは社会資源を無駄遣いしている背信行為といっても良いのではないかと思います。実際、窓際に追いやられ、中途退職を選択せざるを得なかった人材は本当に役に立たない能力の持ち主なのでしょうか? 経営人材の若返りを題目に、できる優秀な人材も一律の役職定年で50台半ばで第一線を外され、早期退職しない限りは給与も退職金も下がることでモチベーションは一気に下がります。その結果、65歳までの「働かない付加価値の低い高給社員」として残るため、組織全体が淀んでしまう原因となってしまっています。人材マネジメントに大きな問題があると思います。

事実、能力ある人は役職定年前後でどんどん早期退職していきます。自分の能力を生かせる会社ではないと感じさせてしまった時点で、今までその人を育成するためにかけてきた投資やコストも全て無駄になってしまいます。そうやって早期退職し、新たに独立して事業を起こす人や中小企業を始めとする他の企業に転職していく人は、決して能力が低いことはありません。大企業は総じて優秀な人材を多く内部に抱えていること自体に気づいていません、単に使いきれないだけに過ぎないのです。生かしきれないから外へ出してしまう、やめさせてしまうのです。企業としてこんな無駄な経営をやっていることに反省がない限り未来は暗いと思わざるを得ません。実際、途中で退職した大企業出身者は多くの企業で大変活躍しています。しかも生き生きと働いているのです。優秀な人材を内部に抱え込んで生かしていないマネジメントは社会全体の損失であるといえます。

高齢者だから一律リストラ対象とする経営を続ける限り、人材のレベルは確実に下がり、モチベーションが低い人材が滞留することで組織活力も疲弊していくのが、今日本企業が直面しているグローバル競争力凋落の根本原因であるように感じています。