労働生産性改革待ったなし
少子化問題と切り離せない重要な概念に「生産性」があります。以前LGBTと関連して国会議員が雑誌で「生産性を生まない」と論じたことが、差別問題として短絡的に批判されて大炎上しました。本人の論じた文章を見ると、決してLGBTは子供を産まないから生産性がないとは言っていなかったのですが、本人が本当に触れたかった社会を維持していくための生産性向上の政策にもっと税金を投入すべきだというのが主旨だったと思いますが、残念にも捻じ曲げられてしまいました。
私は、社会経済の発展があってこそ国民の幸福が実現するという考えを信念として持っています。社会経済が衰退しても全国民の完全な平等を達成する方が幸福だと考えて運動している方々の意見には同調できません。その社会経済の発展を数字で明確に把握できる指標はGDPです。GDPは国民総生産、つまり国民全員が生み出した付加価値の総額です。
一般的に付加価値というのはどういうものが含まれているのかわからない人も多いと思いますが、総売上の中の付加価値部分のことです。余計わからないですか? 具体的にいえば、人件費つまり給料、そして工場や事務所などの減価償却費、支払い金利、そして税金と税引後に残った利益、これらが事業を通じて生みだされた付加価値になります。つまり給料を従業員に高く払っても、なおかつ利益を十分に出し税金を払う結果を出す経営を行っているところは、社会に十分な付加価値を還元できていると考えらます。
ここまで考えると、GDPは会社の規模と従業員の多さと相関関係が強いということがわかります。従業員の数が多くて賃金総額が多いほど付加価値が高いことになります。もちろん利益が大きい会社もGDP貢献度合いは高くなります。
そこで、今後深刻な問題となってくるのが人口減少、つまり少子化による労働者数の低下です。今は仕事はあり人が足らないことが日々深刻化しています。従業員が足らなければ仕事需要を満たせないので、企業の売上は頭打ちどころか低迷します。すると利益を確保できなくなります。つまり付加価値は下がっていきます。さらに従業員不足後に起きるのは、顧客需要の低下です。人口減少が加速しだすと当然顧客は減っていきます。そうなると経営不振のスパイラルに陥り、そこに経営後継者のいない企業の多くが廃業を加速させていきます。このままではデフレによる不況は必ず起きるのはまず間違いありません。つまり国全体の付加価値であるGDPが急減していくのです。今は、先進国では共通の低成長した成熟経済と言われていますが、少子化社会が拡大している中で社会経済の発展を実現するには、二つしか方法がありません。
まず第一に、GDPを人口で割った、一人あたりが生み出す付加価値を極大化させることです。それが即ち「生産性」のことです。具体的にはもっと従業員の賃金が拡大することと、それをやっても利益が一人あたりの売りと利益が増えていくことを同時に実現しないといけないのです。
もう一つの条件は、「生産性」の伸び率が労働人口の減少率を上回ることができない場合には、移民などによって人口そのものを増やす以外にはGDPの減少を食い止めることができません。ここで深刻なのが、人口の減少率よりも労働人口の減少率が遥かに激しいということです。国の社会経済はいわば労働人口が支えています。労働人口が支えている社会保険や税金の範囲で国を運営していくにはもう限界が見えているのです。もちろん低収入者層である非労働者も消費税を負担しており、消費税増税は弱者いじめだという論点もありますが、働く人が減っている現実に直面しても自分には直接関係ないと、どこまで国民の多くが問題の深刻さに気付いているのか肌寒く感じます。
働き方改革で本当に生産性が上がるのか
あえて批判を覚悟で言えば、LGBTは個人の嗜好や生き方に基づく人権に関する問題で、もちろん差別は排除を目指すべきことであるとは思いますが、あくまで現在を生きる人の価値観、権利の問題です。しかし、社会全体の幸福から見れば、LGBTからは次世代の社会を支える子孫は生まれてきません。「子供を産めない人がいることも気持ちを考えたことがあるのか」と批判する人はいるでしょう。でも社会全体を維持していくことの論点とは全く別次元の問題です。
子供は社会全体の宝であることは当然です。祖先、そして現代を生きる私たちが作ってきた社会を子孫を残して発展させることは国・社会の礎です。ありとあらゆる手段を用いて子供たちを社会全体で育てていくのは私たちの責務です。
今を生きる私たちだけの権利を主張するだけで良いのでしょうか。子供たちにとってより良い社会を残して、そして先にあの世に旅立つことこそ、長い人類の歴史の中のほんの数十年という1ページを生きてきた私たちの責任です。今やるべきことは、個人の権利よりも「未来への責任」を果たすこと以外に何があるのでしょうか。
私たちは社会が未来に向けて維持発展する仕組みを残さねばならないのです。人口が減るのは特定の人の価値観の問題が原因ではなく、成熟化した国、社会が直面し乗り越えねばならない試練です。社会維持コスト以上の付加価値を生まないと衰退するのは必然です。①社会維持コストを下げるか、②人口が増えないなら外国人移民を受け入れて一気に労働人口を増やすか、③それが嫌なら一人あたりの付加価値つまり「生産性」改革を成し遂げる以外にはありません。
①も②も嫌だ、③は無理だといっていては国家破綻の道まっしぐらとなります。それぞれどこまで国民全員が覚悟を決めて、社会全体のために献身的な生き方ができるかにかかっていると言っても良いでしょう。
国は生産性向上と労働力不足に対応するために、「働き方改革」と「外国人労働者拡大」の政策を展開しています。しかし、今やろうとしている「働き方改革」は女性や高齢者といった労働者の枠を広げるための働きやすい環境整備のための労働時間の削減であったり、多様な働き方の促進、同一労働同一賃金の推進を図っています。しかし、この政策によって労働者数は増えるとは思いますが、抜本的な賃金引上げがない限り一人あたりの給料はむしろ減るのではないでしょうか。働き方の多様化や労働者数の拡大には少しは効果があるでしょうが、むしろ一人あたりの付加価値である「生産性」が上がるかについては疑問に思わざるを得ません。
「働き方改革」より、いかにして短時間で今まで以上に効率的に価値を生み出せるかといった「働きぶり改革」の視点が欠如している感じがするのです。
そこで本当に生産性を上げるにはどうしたら良いのか、なぜ日本企業は欧米企業に比べて極端に一人が生み出す付加価値が低いのかについて後日取り上げてみたいと思います。