企業は生まれ来る子供たちのために何を語るべきか
新型コロナが世界中を席巻した2020年から早くも4年。世界中の多くの人たちが亡くなったことも忘れかけているほど、ロシア・ウクライナ戦争や中国経済破綻の危機、イスラエル・パレスチナ紛争など世界情勢の混沌度合いはさらに深くなっています。
2024年は元旦から地震災害や飛行機事故など、さらに大変な事態が起こりそうな予感がします。国の存続にかかわるような事態が起こりかねない世界環境の予測がつかない中で、昨年末からの政治とカネの問題で、検察が政治資金の問題で政治家を逮捕するほど巨悪な事件かというと、どうも感覚的に疑問に感じて仕方がありません。確かに政治資金規正法に違反して政治資金パーティーの収入を正しく計上していなかったことは間違いないと思いますが、その得た資金で贈収賄の原資にしたり、故意に脱税したようでもないので、関係した人は議員辞職するなど責任を取ってもらえれば十分ではないかなと感じます。少なくとも政治資金パーティの収入は税金ではなく、ある意味政治献金による収入の類なので、ルールをきちんとしてもらうだけで良いのではないでしょうか。
それよりも重要なのは、国民が幸福に暮らせる国・社会を実現するために、国民一人ひとりが国や政府に対して個人の権利を主張して税金にたかるのを止め、これから生まれ来る子供たちのために何ができるのか、何を残せるのかを真剣に考えるべきだと思います。
少子化は国家を衰退させていくのは間違いありません。ただ、どれだけの人が自分のこととして認識しているのでしょうか。自分さえ儲かれば良い、収入があれば良いとは考えていませんか。自由に自分のしたいことをして自分らしく生きていければそれでよい、そうさせないのは国が悪い、社会が悪い、その価値観を反対するものがいれば、少数意見を弾圧する差別主義者だと声高に叫び排除していくのが当然だというノイジーマイノリティが多くなってきたように感じます。特にLGBTや環境系の活動家などポリティカルコレクティブネスを重視する層にその傾向があります。共通しているのは社会全体はこうあるべきだといった自分の価値観を他人に押し付けようとする考え方にあります。
企業はこれからの子供たちの未来にどう責任を果たすのか
企業経営においても、ここ数年SDGsが大流行りです。そのほとんどが「地球の環境保護に貢献する〇〇」といった類のものです。「ゼロエミッションを実現し、CO2の削減でグリーン・・・」「サステナブル社会の実現に向けて・・・」といった環境系のスローガンが大半ではないでしょうか。
確かに地球温暖化にストップをかけるための環境貢献という企業姿勢が否定されることはまずありません。しかし、企業経営にとって環境以上に重要な責任があります。それは未来を次の世代に継承するために付加価値を創造し続けることであり、そのための人材を育成し承継していくことです。
企業は利益を上げることだけが目的ではあってはならない社会的な公器です。もちろん収益が上がらなければ雇用も確保できませんし、人材を育てることもできません。補助金ばかりに依存し、結果として納税もできない企業は社会に存在する価値もないのではないでしょうか。
人材育成が企業にとっての重要な責務ですが、企業が社会の公器であることを踏まえると、決して従業員の教育訓練だけを意味するのではありません。
国や社会、国民は子供たちを教育することは社会的義務です。納税、勤労、教育は国民の三大義務であることは憲法の基本でもあります。「教育」がなぜ国民の義務かと言えば、将来の社会を支える人材を育てることが国、社会の発展の基盤となるからです。ただ、多くの人が間違っていると思うのは、教育の義務というのは親が自分の子供を育てることを意味しているだけと考えているのではないかということです。国も社会も、国民一人ひとりも、つまり法人である企業にとっても、国民の教育に貢献することは社会的義務であろうと思うのです。
少なくとも企業は雇用した従業員の能力・スキルを活用し、他人が創出した付加価値を材料や機械設備の形で利用することで事業で収益を上げています。しかし従業員は企業経営者の所有物ではありません。国・社会全体が子供たちに教育の機会を提供し、育ち獲得した個人の能力を給料という対価で借りているだけです。そしてその従業員が仕事を通じてさらに能力やスキルを高める機会を企業は積極的に提供し、教育していくことが社会的責任でもあるのです。そうしてスキルを高めた人材が将来独立したり、転職して新たな付加価値を社会に提供していく循環ができることによって、国・社会全体が成長発展していきます。
この感覚は、実際自分自身が大学を出て社会人になり、会社での就労を経て退職し、その後独立開業して企業経営者となり、そして齢を重ねてくるにつれて、自分自身がこの世に生まれてきた訳を考えるようになり、ますます次世代に繋ぐことの大切さと自分に与えられた使命を強く感じるようになってきたのです。
事業の成長発展のため、従業員の人材育成にもっと力を入れるべきなのは経営者として当然です。さらに、社会全体の発展のため、企業として子供たちの教育にいかに貢献していくか、そういった具体的活動や支援を行う姿勢を是非もってもらいたいと考えています。
環境貢献だけではなく、子供たちの育成にいかに貢献していくか、一人でも多くの企業経営者は、次世代により良い社会を継承していくかという視点から企業の存在価値を見直してもらいたいと考えています。
私は企業在職中から日本とベトナムで子供たちに理科実験教室のイベント開催を通じ、一人でも多くの子供たちが科学に興味を持つ社会実現に貢献する理科系人材の輩出に向けた活動を行ってきました。日本もベトナムも学校で理科実験ができる先生が少なく、国際的に競争力ある技術人材の育成が厳しい状況です。
今まで日本はモノづくり技術力で国際競争を勝ち抜いてきました。ところが、どんどんその技術レベルが低下しており、さらに少子化で子供の絶対数が少なく、技術で戦えなくなってきており、日本の産業競争力は危機的状況に直面しています。
今こそ企業経営者が立ち上がり、学校の理科教育を支援するべきだと考えております。学校外での幼児から小学生の理科実験教室の開催にスポンサーとなってくれる企業を求めています。中高生の社会見学の一環で、積極的に企業訪問やインターンシップを受け入れてほしいと思います。すぐには事業利益にはなりません。しかし私たちは子供たちに未来を引き継ぐ使命があります。あらゆる仕事や技術、ノウハウに触れ、科学のおもしろさ、不思議さを体験する機会をもっと提供することに是非ご協力をお願いしたいと思います。教育貢献は国の土台になります。理科実験教室のイベント開催企画に是非場所と運営のご支援を!
「生まれ来る子供たちのために」 作詞・作曲/小田和正
1979年にリリースされたオフコースの楽曲です。1979年とは私が大学を出て社会人になった年でした。45年後の今、この詞の本当の意味がわかったような気がします。
多くの過ちを僕もしたように
愛するこの国も 戻れない もう戻れない
あのひとがそのたびに許してきたようだ
僕はこの国の明日をまた想う
ひろい空よ僕らは今どこにいる
頼るもの何もない あの頃へ帰りたい
ひろい空よ僕らは今どこにいる
(セリフ)「生まれ来る子供たちのために何を語ろう」
何を語ろう
君よ愛するひとを守り給え
大きく手を拡げて 子供たちを抱き給え
ひとりまたひとり 友は集まるだろう
ひとりまたひとり ひとりまたひとり
真白な帆を上げて 旅立つ船に乗り
力の続く限り ふたりでも漕いでゆく
その力を与え給え 勇気を与え給え
若い人たちはこの歌詞の意味がわからないと言います。「生まれ来る子供たちのために何を誇ればいいのか…今はただ、友を集めて進んで行くしかないだろう。そうすればいつかきっとイエス様がお救いになってくれる。」というようにキリスト教の意味かというのですが、そうではないんですよね。
さあ、企業経営者の皆さん、「生まれ来る子供たちのために何を語ろう」