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SNS時代にマスコミの余命はあとわずか

私が物心ついた頃にはテレビ放送が始まっており、最近会社で定年を迎えた私らの世代は、テレビや新聞などいわゆるマスメディアが発信する情報とともに生きてきました。大学時代は8ビットや16ビットパソコンを研究室で製作したり、初期のコンピュータプログラミングを学んだきた世代です。通信手段は黒電話に始まり、海外とのやりとりはテレックス(完全に死後)やレターなどが中心で、国際電話などは余程緊急でないと許されず、次いでFAXが登場、一気に世界との距離が縮まったのを覚えています。データ通信などはマスコミが高価な機材をいち早く導入して、情報そのものをコントロールしていたことで、世界中の動きはテレビや新聞から伝わってくるものを信じていたわけです。そして、インターネットが商用化される90年代半ば以降、電子メールが出現して当初はインターネットを使ったものが少なかったものの、21世紀に入って一気に情報量が拡大、2007年には97%以上の情報はインターネット経由となりました。同時にウェブサイトによる情報発信も徐々に拡大し、企業における通信手段や広告宣伝媒体としての活用に大きな変革があったのを覚えています。

さらに、技術革新の一層の進展とスマホの出現により、情報ネットワークの世界は根本から革命をもたらしました。情報の世界は今までは企業から一方通行の情報提供から、双方向化と個人情報の発信が中心へとシフトしていったのです。当時のことを覚えているのですが、いわゆるSNSを顧客関係性の強化(CRM)に使おうという議論やプロジェクトが多く社内に起こりました。正直私は経営企画の部門で仕事をしていたのですが、ピンとはきていませんでした。物を作るのがメーカーの責任であり、どうお客様に満足いただくべきか、そのための手段として情報をどう提供し入手していくかという感覚しかなかったのです。今考えると発想が貧困でした。ブログで個人の趣味や日記なんかを発信している人に対して、よくも恥ずかし気もなく、私生活やあまり価値があるとは思えない個人情報を見ず知らずの人に見せて何が楽しいのかと疑問に思っていました。世の中の価値観がどんどん変化していく中で、もっと個人的にもどんどん情報発信をしていくことの重要性を考えておくべきだったと振り返っています。

マスコミは余命を認識すらしていない

情報に関する価値観がどんどん移り変わる中にあって、全く発想や考え方が変わっていないのがマスコミです。今や情報の発信主体は個人にシフトしてきています。画一的かつ一方通行で、しかもジャーナリズムという自己満足な虚像の価値観で生きてきた彼らにとって、もはやその存在価値そのものが否定され、余命いくばくもないメディアにすがりついて生きている危機感を認識していないことにある意味惨めさを感じます。

最近、本当にテレビを見なくなりました。新聞もテレビもちんけな正義感があるのか知れませんが、偏向報道レベルならまだましですが、嘘で世論を誘導しようとする欺瞞がますます露呈してくるようになり、膨大なネットからの情報と比較バランスを取る媒体としての確認以外にはもはや存在意義はありません。10月からの消費税引き上げで、新聞社が宅配新聞そものを軽減税率を認めさせるための姑息な論理に対して、国民は単なる政治的思惑と厚顔無恥な自己利益のためだけだと完全に見透かしているのに気づいていません。

テレビに至っては、本当にくだらないものばかりです。先日の休日にテレビをつけたら、同じ時間帯のほぼ全チャンネルの番組がグルメレポばかりでした。あまり面白くもないお笑いタレントをロケに引っ張りだして、街歩きかたがたレストランに飛び込みで入って食事を出してもらい、うまいうまいというだけのものです。また、ある有名な芸能人が不祥事を起こしたとか、誰かが亡くなったというような芸能ネタのニュースを、朝から夕方まで全てのチャンネルのワイドショウで延々とやっているのです。こんな番組を続ける意味があるのでしょうか。少子化の影響もありますが、国民はどんどんテレビ離れ、新聞離れとなってしまっているのです。

最近ではマスメディアへの広告宣伝は減少の一途です。一方でインターネット広告量が遂にマスメディア広告を抜き去りました。NHKの受信料の問題も、旧態依然とした価値観で放送事業をやってきたがゆえに、もはや受信料制度そのものが存在価値を失ってきています。つまりテレビも新聞も、一方向の情報提供媒体のままでは余命いくばくもありません。したがって、昨今のマスメディアもネット化へシフトしてきています。NHKなどは放送では受信料を取れなくなってくることもにらみ、ネットユーザーからも受信料を取ろうという姑息な手段を考えているようで、もう絶滅した恐竜がのたうち回っている様としか言いようがありません。

ネット情報の価値

マスメディア側の人に言わせれば、ネット情報の信頼度は低い、フェイクやデマが多いという論理を展開します。しかし、自分たちの情報の信頼度は高いと思い込んでいるのはみじめです。

ネット情報の分野の広さ、迅速性、拡散力のすごさなどは、既にマスコミが太刀打ちできるレベルではありません。今や、マスコミの報道などは、世界中に置いている支局から情報よりも、ネットから検索して入手してから記事にしたりカメラを回しにいっています。今やカメラも一般人の投稿を利用しているのが実態ではないでしょうか。ならば、テレビや新聞などは今後本当に必要なのでしょうか。

最近のYOU-TUBEでは、実にあらゆる分野のほしい情報をオンデマンドで入手することができます。今のマスメディアに決定的に欠けているのは、オンデマンドでの情報提供です。確かにデータ放送やネットによる番組配信などやっているようですが、それらはメディア側が一方的に発信するコンテンツをネットで提供しているに過ぎません。膨大な一般ユーザーが発信する情報量と比較すると、限られた記者や番組制作者の見識だけで制作、編集したコンテンツは話にならないくらい内容のレベルが低いのです。

ここ最近私が注目している動画があります。オリエンタルラジオの「中田敦彦のYouTube大学」という動画配信で、日本史や世界史、そして近現代の政治的課題や文豪の書籍などについてよく勉強されて、実にわかりやすく腹落ちする解説をしてくれるのです。しかもほとんど毎日テーマを変えて提供してくれるので大変勉強になります。自分自身はいかに世の中のことについて不勉強であったかということも思い知らされることばかりです。一気に短期間で115万人のチャネル登録者を確保したのです。その他にもホリエモンの動画配信チャネルでも、彼自身の見識の高さや視野の広さに感心することしきりです。

以前はちょっとググれば、得たい情報のサイトを探り当てることができました。今やYouTubeで得たい情報を動画で、しかもテレビをはるかにしのぐレベルの情報量を見たいときにいつでも入手できる時代になっています。さらにその動画の質はかなり上がっています。機材や編集ソフトも安価にかつ充実して、放送局が提供するビデオなんかよりも画質も良かったり、魅力あるコンテンツが多いようになってきました。今やメディアのプロよりも素人の方がレベルが高くなってきたというのは笑えない実態です。

果たして今のテレビ、新聞が生き残る余地はあるのでしょうか?