未来を支える子どもたちへの贈り物~企業の存在価値とは~
(引用:Panasonic公式Facebook 2024-12-26)
東京有明の国際展示場前すぐにあるランドマークともいうべきパナソニックセンター東京が、2002年に開業後22年と4カ月、約1420万人の来場実績を踏まえこのたび閉館しました。時代は流れ、この施設の意義について費用対効果といった面から見直された結果だと思いますが、私自身も現役時代この施設の運営に関連した業務に従事したこともあり、改めて企業の社会的責任について考える機会となりました。
企業の存在意義を社会に向けて発信する拠点
企業はある程度の規模になると、自社の経営理念や事業に対する考え方について、商品やサービスを通じて社会全体の発展や顧客にいかにして価値を提供していくかを広報や広告宣伝を通じて情報発信します。またそれだけでは一方通行の情報提供に留まるため、社会との接点を設けることで、顧客やステークホルダーの生の声を聴き、自分たちの事業がいかに社会発展に貢献できているか、また何か問題があるかを検証する意味で、ショウルームや歴史館などを設立することがあります。
パナソニックの創業者であった松下幸之助氏は、奥様と義弟(三洋電機創業者)と1918年に始めた電気器具製造事業を創業したのですが、企業としての社会的責任の使命を知った1932年に経営理念「産業人たる本分に徹し社会生活改善を図り世界文化の進展に寄与する」を発信し、その日が創業記念日となりました。実に創業後14年を経て企業の存在意義を悟られたわけです。
創業者の教えについては、数えきれないほどその後の日本企業の経営に大きな影響を与えてきたことは間違いありません。その一つに「物をつくる前にまず人をつくる」という人材育成の重要性があります。もちろん従業員の成長なくしては企業の発展はあり得ないのですが、創業者が言っていたのは国民全体のことでもありました。国の成長発展には人材育成が最も重要であり、企業は国や社会が投資して育てた人材という資源に対し、賃金を払ってお借りして事業を行っているのであるから、企業自身も国民の教育、人材育成に貢献するべき社会の公器であると言っていました。
企業の従業員だけでなく、社会全体の人材育成に貢献し社会発展に寄与することこそが企業の存在意義そのものあるという信念を、社会との接点を通じて経営理念の実践について情報を発信していくべき拠点として設立したのが「パナソニックセンター」でした。
設立当時は、「既に歴史館があるじゃないか?」「商品を訴求するために展示会にも巨額の費用をかけて出展しているし、ショウルームは事業部や営業所単位で玄関ロビーにあちらこちらで設置しているではないか?」と重複だの費用の無駄づかいだのといった議論があったように覚えています。
当初、このプロジェクトは東京と大阪で開館するパナソニックセンターは当時のトップであった中村社長の強烈なリーダーシップで進められました。中村社長についてはいろんな評価がありましたが、社内ではもちろん怖い存在でした。ただ比較的近いところで仕事をしていた私にとっての印象は、常に創業者ならどうしたかということを常に考えておられたように感じます。おそらく今の現役の社員は知らないでしょうが、このパナソニックセンターは、当初は「松下センター」設立プロジェクトでありました。なぜパナソニックでなく松下センターであったのか? 松下電器の創業者が考えたその存在意義を社会に向けて問うための施設であったというのが本質なのです。
あえて今の経営幹部を批判するつもりはありませんが、今回のパナソニックセンターの閉館の報に接する今、パナソニックとしてのコーポレートの理念である松下創業者の経営の心がどんどん希薄になってきているのではないか、社会にとってどういう存在になるべきかという問いかけすらも、従業員の意識だけでなく社会に対する発信も忘れてはいないか残念に感じるのです。
パナソニックの社会的存在意義の象徴であった「リスーピア」
東京と大阪にパナソニックセンターが設立され、新たな技術や製品の訴求としてショウルームとしての役割を果たすと同時に、情報発信拠点として様々なイベントも実施されました。そのイベントにおける未来の社会を支える子どもたちに向けた「パナソニックリスーピア」という常設施設がパナソニックセンター内に設置運営されました。
「リスーピア」って何?
「リスーピア」とは「理科」と「数学」のユートピアという意味からつくられた造語です。当時から今も多くの企業では「技術」の高さや優位性による差別化を企業戦略の骨格に置いています。しかし、子どもたちの理数離れが顕著になって、将来の日本の科学技術力の低下が懸念される一方、企業は学校教育に問題があるというばかりでした。
当時、中村社長は「日本はものづくり立国であるのに、理科系人材が不足するのは由々しき事態を招く。このままでは国力が低下する。」「でも、幼稚園児や小学校低学年の子どもたちは科学の不思議さや面白さに接すると目を輝かせている」・・企業として将来の理科系人材を輩出するためにも、少しでも科学に楽しんで接し興味を持つ人材を一人でも多く育てていくのが企業の責任ではないか」と話されていました。この疑問がリスーピア設立の出発点となりました。
「リスーピア」では学校ではやらない楽しい理科実験教室を定期的に開催し、常設展示施設も理科だけでなく楽しい算数を体験するような、例えば「素数ホッケー」ゲームで対戦をしたりする工夫をしたものでした。
実際、ご両親に連れられて「リスーピア」で体験し興味を持った子どもたちの多くが理系の大学に進学し、その後パナソニックを問わず日本の産業を支える企業に技術人材として就職し活躍されてるという話を聞きました。これこそ企業の社会貢献の責任を体現しているのではないでしょうか。
海外唯一のリスーピア「パナソニックリスーピア・ベトナム」
中村社長はその後ベトナム事業の拡大にも多大な貢献をされました。2000年初頭当時はベトナムはまだまだ産業は発展していませんでした。粘り強くベトナム政府と交渉し、ベトナムは将来ものづくり産業で発展すると強い信念とリーダーシップで、一気に統括会社の設立認可を取得し事業会社を5社設立しました。
またこの統括会社が運営責任を持つ形で、「パナソニックリスーピア・ベトナム」を海外で唯一の人材育成貢献事業としてベトナム教育訓練省の認可を得て立ち上げられたのです。私は人事異動でベトナムの統括会社に赴任後、ちょうど建設途中であったリスーピアベトナムの責任者として、パナソニックセンターのリスーピア運営の協力をいただきながら、ベトナムで早期退職するまでの約4年大変思い出深い経験となりました。
日本と同じく、子どもたちの科学に接したときの輝く瞳、そして楽しそうな笑顔に癒され続けるとともに、ベトナムがモノづくり立国としての成長発展を支える技術人材の輩出に少しでも貢献できたという満足感をもって、今ベトナムと日本がともに飛躍し成長発展するコンサルティング事業で貢献してきたいと感じた年の瀬となりました。