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他人を蔑む心の卑しさと相手を敬う心の大切さ

中小企業に必要な3つの支援スタイル

いろいろな議論がありましたがオリンピックが開幕しました。たとえ無観客であったとしても日本人選手の活躍とスポーツがもたらす感動の前には、開催に反対していた人たちやマスコミも喜んでいる姿を見て節操がないなと感じています。

開会式前後から実際に競技が始まってから改めて感じたことがあります。競技は戦いです。結果として勝者がいて敗者がたくさん生まれます。頂点を目指して血の滲むような努力を重ねてきたアスリートであるからこそ、競技に参加する全ての選手にお互いに偉大な尊敬の念を持って競技に臨んでいます。だから競技を観戦する私たちにもアスリートの気持ちが投影されることで大きな感動を呼ぶのだと思います。

それぞれのアスリートは国単位での競争を勝ち抜き国を代表して参加します。それだけにその代表が金メダルを取ったら、いかなる国であったとしてもその国民にとっては喜ばしいものです。それは自分のアイデンティティがその国にあるということを誰も否定できないからです。国を代表する選手が勝つことが、自分自身の存在意義と自尊心の満足感につながっているのだと感じます。

「オリンピックは勝つことよりも参加することに意義がある」ということは言い古された言葉であります。でも改めて感じたことがあります。オリンピックで優勝するアスリートには惜しみない称賛が与えられます。しかし、金メダル以外の選手は全員負けた悔しさでいっぱいのはずです。自分の国の代表が金メダルを取った、素晴らしい!だけではあまりも卑しいです。自国の選手に対してよくやった、頑張っただけというのもどうかと思うのです。参加してくれた全てのアスリートだけでなく、裏方で支えてくれた人たち、厳しい状況の中で何とか開催にこぎ着けるためにあらゆる努力をしてくれた大会関係者の人たち全てに感謝の気持ち、感動をありがとうの言葉こそが重要だと思うのです。

実際、激しい戦いを終えたアスリートは、結果がどうであれそれぞれの健闘を称えあい、お互いは決して敵同士ではなく尊敬の気持ちを持って強いつながりがあります。勝敗後の態度を見ても、勝って喜んだり負けて悔しがるというだけではなく、ほとんどのアスリートは戦い終えてお互いを敬い支えてくれた周囲の方たちに感謝の心を語ってくれています。

ほとんどのアスリートは決して戦った相手に対して卑怯だとか蔑むような態度を示すことはありません。ただその周囲にいる人たち、特に自分たちの考えとは合わない人たちを蔑むことでしか、自分自身の存在価値を確認できない方が一部の国、しかも特に日本を含めたマスコミには、他人を褒め称え尊敬することが罪悪かのように振る舞っている人たちが改めて浮き彫りになったように思います。

異文化コミュニケーションで重要な相手を敬う心

どの国に限らず、日本においてもとにかく相手を批判し蔑むことで、相対的に自分自身の位置づけを上にすることの執着する人、つまりやたらとマウントを取って社会的優位性を自覚したがる人がいます。他人は他人、自分は自分という考え方ができない人たちです。

国民感情であったり人間関係というものは一人ひとりの心の持ち方に起因するものはある面厄介なものです。戦って勝負をつけて解決できるものではありません。「プライド?それって美味しいの?」と思ってしまうような人もいれば、「自尊心は人生の価値そのもので、上下関係が全ての基本」という価値観を持っている人もいるのです。自尊心が全てと思っている人達にとっては、自尊心もないような人達は軽蔑すべき対象に過ぎないですが、自尊心を超越していて生きている人達にとっては、決して自分たちを卑下しているのではなく、その価値を感じていないだけなのです。当然お互いわかりあえるはずがないわけで、オリンピックの中継にでもやたらと自国を自慢し他国を貶すことに執着している国もありますし、とにかく自分が正しく気に入らないもは全て許せないワイドショーなどメディアは正直うんざりします。

何故他人を褒められないのでしょうか?いちゃもんをつけることでしか自分のアイデンティティを確認できない人たちはある意味かわいそうな存在です。他人や他国を貶して何かメリットがあるのでしょうか。結局自尊心の満足でしかないと思うのです。いくら相手を貶めたところで、「わかりました、これからあなたのいうことは全て正しいのでおっしゃる通りにします」って誰が思うのでしょうか。メディアも同じです。連日オリンピックなって止めろ、政府は何をやっているんだと非難ばかりやっている野党とかテレビや新聞に誰が共感を覚えるのでしょうか。気分が悪くなるだけです。昨今の支持低迷やメディア離れは自分たちに原因があると気づかない限りは消える運命にあると思います。国と国の関係においても、毎日毎日難癖をつけて相手を蔑む国や、人の庭に傍若無人に入り込んでここは自分の土地と決めたから出ていけと居座られるような国から未来志向で協力したいと言われても無理な話です。

グローバルに事業展開を行う企業にとっても、国際的な取引関係の基本はお互いの信頼関係ができるかどうかにかかっています。やはり国際間の取引はそれぞれの文化土壌の違いによって、自分自身がDNAレベルで持っている常識が通用しないことが多々あります。しかし一番共通して大事なのは「相手を敬う心」だと思うのです。外国の人たちに対して常に上から目線で接し、それこそ自尊心やメンツが最も大切な価値観だと考える人達と取引を行うときには、それらを傷つける言動は絶対してはいけませんし、特に日本人が一番陥りやすいタブーが人前で叱ることです。

常に相手を持ち上げ褒めて讃えることで損になることはありません。周りを蔑むことしかしていない人達にとっては、他人を褒め讃えると自分たちより優越評価を与えてしまうことになってしまい、結局自分の位置づけが下になってしまうという恐怖感がそうさせてしまうのでしょうね。

私がベトナム人を尊敬する理由

私はベトナムと関係する仕事に多く携わっていることもありますが、総じてベトナム人を尊敬しています。中には昨今の日本における来日ベトナム人の犯罪が増えていることから、あまり心地良くかんじていない人も多いと思いますし、問題も多くあることは認めざるを得ません。しかし、なぜ多くの日本人がベトナムが好きな人が多く、ベトナムの発展に貢献したいと考える人が多いのでしょうか。それは、ベトナム人は非常に日本人の感覚に近いところがあり、他の国民ほど自己主張が強くなく、勉強熱心な人が多い、働き者であるということもありますが、一番のポイントは「相手を非難するよりもうまく持ち上げ褒めるのがうまい」ということがあるのではと思います。

もちろん心の底では日本に対してもいろんな感情があるとは思いますが、日本が国レベルでのODAや企業の社会的貢献に対して素直に感謝してくれています。またとにかく人を褒めるための表彰式とかパーティが大好きです。自分が褒められて嬉しいことは他人にも報いてあげたいと思うです。ODAでも支援を受けたことに対して感謝の記念碑を作られると、また頑張って新たな支援もしようという気持ちにさせるのは非常にうまいのです。

ベトナムは過去いろんな悲惨な歴史を抱えてきた国です。確かに中国に対しては良くない国民感情がありますが、滅多に表だって他国を批判したり蔑む行為をあらわにするようなことはありません。他人を貶さず褒める心の大切さをベトナム人は教えてくれるのです。

オリンピックのアスリートの心とともにベトナム人の相手を敬う心の大切さを感じつつ、一日も早くコロナ禍が収まり行き来が復活できるのを祈っています。