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ベトナム人の時間感覚

ベトナム人と付き合うとどうしても日本人の感覚とは違うという場面が多くあります。とくに「時間」に関する感覚が相当違うのです。日本人にとってなかなかベトナム人を理解できない、また逆にベトナム人から見て日本人を理解できないのは、この「時間感覚」による行動や発想の違いが典型的なように思えます。

ただ、これはどちらかがおかしいというものではありません。長年の生活習慣や価値観、文化の違いなどから表面に現れているだけです。大事なことは、お互いそういう違いがあるということを相手の立場にたって認め合うことだと思います。会社の仕事でも、なんでこんな基本的なことを何度も注意しても行動が直らないのかという場面に出くわします。でも、ああなるほど、そういうことが背景にあるのかとわかることで、相手に対する接し方も変わりますし、自身の受け止め方も余裕を持ったものになると思うのです。

時間感覚の違い

ベトナムに駐在していた当時、日越共同イニシアティブという政府間協議の枠組みがあり、そこの部会のチームリーダーとして、ベトナム政府機関ともいろいろ会合を持ちましたし、丁々発止議論をしました。ほとんどの会合はベトナムの政府機関側の施設でしたが、ほぼ時間通りに始まったことはありませんでした。勿論、日本側はだいたい5分前には揃って、時間通りに訪問します。 この政府間協議の最終報告会では、日本側から経団連の幹部の方も来られます。面白いことに、10時開始ということになりますと、ほぼ日本側の協議メンバー全員が、15分前には着席します。しかも全員スーツにネクタイです。暑いベトナムでは異様な光景です。ベトナム側は各省庁から代表者が出席することになっていますが、10時に座っているのは、わずか2-3名でバラバラです。案の定遅れて始めざるを得ないですし、10分待ってもまだ半分程度で、やむを得ず始めて30分ぐらいでようやくだいたいメンバーが揃うという感じです。

私は、ベトナムでJICAのODAに関連して研修講師の仕事で出張しますが、毎回メンバーが時間通りに来ないというのはざらですし、昼食後の開始時刻になっても二、三人しか揃わず、結局途中から来る人が半分以上にもなってしまいます。全員揃ってから開始するということにすれば、消化できないコンテンツも出てきますので、私自身も時間厳守については再三注意はしていたのですが、なかなか改善されないので不思議に感じていました。

いろいろベトナム人と会議や研修などで話をしてみますと、なぜ彼らは時間の感覚が日本人に比べて鈍いのかということもだんだんとわかってきました。日本人は時間の価値というものを非常にシビアに捉えます。またチームワークでお互いで協力しあって一つの目標を達成するために、共通のルールである時間を大切にします。これは日本人の肌感覚なのです。日本人でも遅刻する人間はいます。でも、遅刻する日本人は周囲から信頼されなくなってしまいます。これは、時間を守らないということは、他人の時間価値を奪いとっているということに他ならないという価値観があるのです。実際、会議で遅れてきた人が何か質問なり意見を述べたとき、もしそれが既に遅れてきたときに説明が終わっていた内容であったとすれば、その人は総すかんで次の会議には呼んでもらえないことにもなりかねません。団体のバスツアーで、高速道路のPAで集合時刻に遅れようものなら、周りから冷たい視線が投げつけられます。もし、5分一人が遅れたために、20人の出発が遅れたとするなら、100分の時間価値を奪ってしまったことになるのです。

でも、これは日本人の感覚です。ベトナム人には理解が難しいところです。自分の時間は自分のものであって、他人の時間は自分のものではない、何で5分遅れただけで他人の時間を失ったと批判されるのかさっぱりわからないという人がほとんどです。

ベトナム人にとっての時間感覚はどのようなものなのでしょう。私個人の印象では、時間そのものにあまり価値という感覚を持っていないように感じるのです。工場のマネジメントではそれこそ分単位、秒単位で工程管理を行い、生産時間を極限まで縮めていく努力がなされています。しかし、ベトナム人にとっては、日系企業をはじめとする外資の製造業が本格的に展開するまでは、そのような感覚で時間を捉えたことがなかったように思います。

時間を守るということについては、一応学校ではちゃんと時間管理されていますし教育を受けています。会社に入ったら就業時間は決まっているのです。ですから時間は誰も気にしていないということはありません。ただ、ベトナム人にとってそれは最優先の価値観ではないのです。それでは時間を守らずに他人が迷惑するより優先することって何でしょうか?

これはなかなか日本人にとっては理解しがたいことなのですが、会社や学校での団体行動の基本ルールである時間という価値より優先するべきこととは・・・・・自分自身のことであり、家族のことであり、そして今の人間関係を大事にする価値観の方なのです。友達と誕生日祝いの食事をしている今の個人の時間が優先するという感覚です。日本人はこれを「公私混同」という一言で切って捨てます。公が何をおいても私より優先するという考え方は、身内に不幸があったこと以外当たり前のことです・・・少なくとも日本人にとっては。 でも、ベトナム人にとっては、個人としての生活やアイデンティティがあって初めて会社という所属組織の構成員の一人である意味を持つのです。個人と会社の関係性についての捉え方が根本的に違うのです。果たして会社や公的組織は、どんなことがあっても私事より優先するということの論理性をベトナム人に納得してもらえるかどうか考えてみることも必要でしょう。

ベトナム人は日本人と比べて個人主義です。しかし、個人主義とは全て自分勝手で振舞っても構わないという考え方ではありません。自分自身のありかたを大事にする生き方といっても良いと思います。そのライフスタイルは、家族や親戚を最も価値観を共有し最優先する対象であり、人間関係を大事にするために、時間もお金も使うという価値観をもっている国民性をわかることで、私自身あまり遅刻に対しても腹が立たなくなりました。

でも、たとえ公でも、相互関係の中で時空を共有しているのであり、個人のライフスタイルを優先して遅刻することは、決して褒められたことではありません。時間にルーズになるということは、他人に迷惑をかけ、他人の時間価値を奪っていることと同じです。結局自分自身のためにはならず、その公の組織内では良好な人間関係はできない、相手の時間価値を失うことは、同時に自分の信頼価値も失うことになることは理解してもらいたいと思います。ベトナム人もじっくり話せば納得はしてくれますし、お互いの相互理解度が高まっていくでしょう。