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ベトナムの杉さま!!

ベトナムの杉さま!!といっても決して私のことではありません。ベトナムに関わっている日本人であれば知らない人はいないと言えるのが、俳優、歌手の杉良太郎さんです。ベトナムで支援活動を始めて今年で28年。ベトナムの孤児100人以上を里子にし、大学卒業まであらゆる費用の面倒をみています。今後さらに百数十人となる予定で、日本語学校の運営、孤児の養護施設・盲学校への寄付なども含め、ベトナムに投じた私財は分かっているだけで十数億円にも上ります。有名人だからこそできる、「売名」「偽善」と陰口をたたく人もいるのですが、どんなに裕福であったとしても、28年以上もベトナムの福祉に一身を捧げ続けることは並みの人では絶対にできません。単に、私財を寄付したり里子の数を増やしているだけでなく、現場に何度も訪問し、自活の道筋を作るために鶏小屋を作って、卵を売って生活の糧を生み出すような実際の暮らしが継続的に改善する支援も行ってこられました。

私も残りの人生をベトナムの発展のために貢献していきたいと思い、今の事業を始めたわけですが、杉さんの足元には到底及びません。杉さんは「これは縁だと思った」・・その思いで28年も私財を投げ打てる。すごいとしか言いようがありません。どういう人生観を持てばこのような崇高な社会貢献ができるのか関心させられることしきりです。

企業が海外展開する目的として、市場を広げて発展を目指したいとか、少しでもコストの低いところに事業拠点を設置して利益を確保したいというのが通常ですが、海外展開国の社会発展やその国民の暮らしが少しでも良くなるためにできることは何か、CSR活動の在り方について、杉さんの今までの思いや行動力から学ぶことが多いのです。

杉さんのインタビューコメント

杉さんがベトナムの支援活動を始めたのは、次のようなエピソードがきっかけであったと言います。

『ベトナムに初めて来たのは1980年代後半。孤児の養護施設を訪れたとき、その食事を見て衝撃を受けた。食べていたのは、わずかなご飯に草を混ぜたようなおかゆ。食べ物とは思えないひどいにおい。デビュー前の15歳のときに慰問で訪れた日本の刑務所と同じにおいだった。食事が悪いせいか、みんな背が低い。子供たちが土産の菓子に大喜びするなか、一人だけ寂しそうにしている少女がいた。通訳を介して話しかけると、「お菓子なんかいらない。お父さんとお母さんがほしいの」と言った。杉さんは建物の外に出て泣いた。このとき、里親になろうと決意した。』

そこまで支援する理由について杉さんは、「私も分からない。ただ、『自分が孤児だったら、全盲だったら』ということは常に考える。つらい境遇にある子供たちにも生まれてきた喜びを与えてあげたい」と答えています。「売名だ、偽善だ、と批判する人はたくさんいる。首相経験のある日本の政治家に『芸能人はお金があっていいですね』と冷ややかに言われたこともあった。でもいいんです。評価もいらない。見返りもいらない。そんなものを求めるようなら社会貢献なんかやらないほうがいい」

杉さんの社会貢献を見て日本企業は何も感じないのか

単に寄付をするだけではなく、孤児たちの未来へも投資しています。ハノイに1992年、日本語学校「ベトナム日本文化交流協会付属日本語センター」を設立。設備、蔵書、講師料なども私財で賄ったとのこと。「孤児の多くはきちんとした教育が受けられない。日本語ができれば日本企業で働くチャンスも増える」と考えられたのです。いまでは数万人が卒業し、日越のビジネスの最前線で活躍。日本では現在、IT(情報技術)業界中心にベトナム出身の技術者も急増していますが、杉さんの支援もその一翼を担っているといっても過言ではないとの見方も納得できます。

翻って多く展開している企業は、大企業も含めどこまで社会発展のためにその国のために貢献してきたでしょうか。確かに企業で孤児の面倒を見ることなどはできませんし、できるのは多額とは言えない一部の寄付というのが精一杯です。ただ、教育に、その国の未来に投資、貢献する方法はいくらでもあるはずです。今、ベトナムはIT人材も多く輩出していますし、その恩恵を多くの日本企業がベトナム投資で享受しているのです。果たしてその果実を利用するだけで、それまでの人材育成に何も貢献していない企業は果たして社会的責任を全うしていると言えるのでしょうか。

社会貢献と聞くと、どうしても義務感からの寄付だけで満足している企業が多いように思います。しかし、企業は国、社会から経営資源を提供してもらって利益を上げていることを考えると、企業は社会にとって公器であり、社会の基盤である人づくりに納税以上の貢献は当然ではないでしょうか。自社の利益しか考えられないような企業は存在意義すら疑われるともいえます。

尤も日本企業だけが反省するべきことではありません。ずっとベトナムと関わり続けてこられた杉さんは、ベトナムに対しても厳しい目を向けておられます。杉さんだから言える含蓄のあるコメントがあります。

ベトナムが市場主義経済を導入したドイモイ(刷新)政策から今年で31年。ベトナムはすっかり豊かになり、高層ビルが建ち、町には高級外車があふれるようになってきました。杉さんは「貧しい人がいっぱいいるのに、なぜ彼らは寄付をしないのか」と不思議に思うといいます。ベトナムでの貢献が認められ、2007年に越政府から「ベトナム日本特別友好大使(現在はベトナム日本特別大使)」に任命。国家主席、首相といった要人と会う機会も多い。ある要人に「ベトナム人はなぜ日本に求めるばかりで、自分から『してあげる』と言わないのか!」と問い詰めたこともあったとのことです。縁もゆかりもない異国の地で、無償の愛をささげ続ける杉さんだからこそ、言える言葉です。日本企業もベトナムの企業も、またベトナム人自身も深く考えなければならないと痛感しました。

私もベトナムの二人目の杉さんと呼ばれるようになれるでしょうか・・・・なれるわけないやろ!(Buc minh !)