このページはJavaScriptを使用しています。
ご使用中のブラウザはJavaScriptが無効になっているか、JavaScriptに対応していません。
サイトを正しく表示、ご利用いただくには、
JavaScriptを有効にするか、JavaScriptが使用可能なブラウザでアクセスして下さい。

生まれ来る子供たちのために

世界は今大混乱の真っ最中。新型コロナの感染者がついに50万人を突破しました。10万に達するまでにかかった日数が67日、そこから20万人に到達したのが11日後、30万人がわずか4日後でした。そこから40万人が2日後、そしてすぐに50万人に達したように加速に拍車がかかっています。日本も今まで何とか持ちこたえていたのが、おそらくここ一週間以内に首都圏、そして関西圏など大都市で感染爆発が起きる見通しが強くなってきています。

世界中で人の動きが止まりました。日本からはアメリカ、欧州、中国、東南アジアのほとんどの主要国に事実上入国ができなくなりました。外国人の日本入国はまだ甘く、入国してきた多くの外国人や帰国した日本人に対しても二週間の自主的隔離を要請するに留まっているため、こんな国家存亡の事態にあっても、人命より人権や自由の方を尊重するという世界の中でもまれな私権制限をほとんどしない特殊な国となっています。

私自身は特に右翼主義者ではありませんが、最近特に頭を傾げるのは、日ごろから左系の人が声高に叫ぶ「人権至上主義」が本当に国民の命を大事にしているのか不思議でたまらないということです。普段から自由と平等を貴ぶ欧州各国や北米と比較して、「日本は人権を蔑ろにしている人権後進国だ」とか「政府は個人に干渉するな」「個人の権利を何よりも優先せよ」と左翼系政党の主張をよく耳にします。彼らは決して自分たちを日本国民といわず市民といいます。つまり国の存在を否定する立場なのです。国は常に個人の人権に対する脅威の存在でしかないように言っています。

一方、今回のコロナ危機に対しても、彼らまたマスコミからからどうやって国や国民を守るのかとの考えを聞いたことがありません。国の対応が遅いとか、休校措置に対して子育て家庭が大変だ、休業補償をどうしてくれるんだといった一方的批判と個人的要求ばかりです。危機を乗り切るために、政府にたかっている姿は見苦しいの一言です。この一点を持ってしても、私は左翼系の政党やマスコミを支持することは永遠にありません。

私自身も正直大変な状況です。予定されていたイベントや研修、海外出張関連の業務は今月に入って全て吹っ飛びました。もちろん4月以降の見通しは全く立っていません。中小の飲食店や商店など顧客が激減している以上に、私自身の収入見通しも現時点ではゼロです。まさしく欧米やアジア各国が追い込まれている強制的な外出禁止や休業命令ではないのでまだましです。自分自身で何とか打開策を見つける余地はあるはずと思っています。しかし、国の政策として資金繰りを乗り切るための緊急融資制度などは有益と思いますが、この売り上げの落ち込みを国に補償してほしいとか、現金を給付してほしいとかは単なる経営の甘えにしか思えません。

地震などの自然災害を含め、世の中いつ何が起こるかわからないというリスクはさんざん日本が経験してきたことです。日本人は苦境を乗り切るバイタリティーと知恵がありました。いかなる苦難に対しても自己犠牲の精神を戴して協力助け合って発展してきたのです。しかし、最近は特に自分が良ければ他人はどうでも良い、自分の損害は国や政府はいったい何をしてくれるんだというぎすぎすした空気が蔓延しているように感じます

オフコースの「生まれ来る子供たちのために」

先日、映画「FUKUSHIMA50」を観ました。東日本大震災の悲劇は私たち日本人の心にも深い傷を与えました。その中で、福島原発事故で自己犠牲の精神で戦ってくれた現場の社員そして福島の人たちに日本は救われた事実に、あたらめて感謝の思いとともに、日本人の芯の強さについて感銘を受けました。映画の中でも批判される立場として描かれた東電幹部や民主党政権サイドから見ると腹が立つこともあるでしょうが、国家存亡の危機にあって、国とは何か、経営者とはどうあるべきかを真摯に向き合ってもらいたいと感じました。

今回の新型コロナウィルス肺炎の問題は、原発事故と同様「国家存亡の危機」という視点に立つべきものです。オリンピックが一年延期となったことで、アスリートの気持ちがどうのこうのというのはある意味どうでもいいのです。世界秩序の基盤である世界200か国以上の国家存続が危機に瀕しているのです。一年延期で良かったと肩をなでおろしている場合ではありません。日本にとっては大きな問題でしょうが、2週間あまりのスポーツ競技が延期になろうがたとえ中止になろうが、そんなことより国家が崩壊するのを防ぐことの方がはるかに大事な問題です。

日本人はもっと大きな視野で新型コロナウィルス肺炎の問題をとらえるべきです。正直言って、海外の人にとっては、日本人ほどオリンピックに対しての思い入れは強くありません。アメリカ人にとってはスーパーボールやNBAの方がより重要ですし、欧州の人々にとってはサッカーのワールドカップの方が断然関心が高いスポーツです。世界の人々にとっては、人命を左右する目に見えないウィルスの恐怖より大事なものがどこにあるのか、オリンピックなんてどうでもいい話と受けとめている人が多いと思った方が良いです。

まさしく世界中が「存亡の危機」の前に立ちすくんでいます。しかし今を生きる私たちは未来に対して責任があるのです。あるネットニュース番組で「新型コロナの影響で困っていることは何か?」という設問に対して、ほぼ同じような比率で、①学校や仕事、②食料・物資の確保、③娯楽ない、という3項目でした。でもこれから起きることは、「社会の破綻と崩壊」に近いと思っています。現実、世界経済は無残な崩壊状況がこれから深刻化します。もし特効薬やワクチン開発に成功し、早期に感染が終息すれば助かる可能性はありますが、世界的に流通、サービス業はどん底に突き落とされて、あと1、2か月で世界的に倒産が感染グラフのように右肩上がりで爆増します。そうなると政治的にも世界は不安定化して治安も崩壊していく懸念があるのではないでしょうか。

こういった世界秩序の破綻と崩壊が目前に迫っている中、相も変わらず危機感なしに花見に出かけたり、K1を見に行って歓声を上げている・・・。あまりにも事態の深刻さがわかっていない日本の現状を憂いています。

私たちの今の生活を守ることは大事です。苦しいと思います。財産や生命を失う人も増えてくるでしょう。しかし、それよりも大事な私たちの責任とは、次の世代を生きる子供たちのために何をするべきかということではないでしょうか。

私が子供のときから親しんだミュージシャンの「オフコース」の楽曲でずっと心に引っかかっていたものがあります。それは、「生まれ来る子供たちのために」というものです。世界の破綻と崩壊に直面しようとしている今、この詞がずどんと心に響くのです。

 

「生まれ来る子供たちのために」 作詞・作曲/小田和正

多くの過ちを僕もしたように 愛するこの国も戻れない もう戻れない あのひとがそのたびに許してきたように 僕はこの国の明日をまた想う

ひろい空よ僕らは今どこにいる 頼るもの何もない あの頃へ帰りたい

ひろい空よ僕らは今どこにいる ー 生まれ来る子供たちのために何を語ろう 何を語ろう

君よ愛するひとを守り給え 大きく手を拡げて 子供たちを抱き給え ひとりまたひとり 友は集まるだろう ひとりまたひとり ひとりまたひとり

真白な帆を上げて 旅立つ船に乗り 力の続く限り ふたりでも漕いでゆく その力を与え給え 勇気を与え給え

 

この楽曲は1979年にリリースされたものです。1979年とは私が大学を出て社会人になった年でした。40年後にこの詞の本当の意味がわかったような気がします。