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アメリカ勤務がその後の人生観を変えた

今でこそ中小企業の海外展開支援で特にベトナムの専門家として広く知られるようになりましたが、現役時代にはその他にも中国での事業戦略の構築に長く携わったり、電子デバイスの海外営業では台湾や香港、東南アジア各国からインドまで、いわゆるアジア新興国に精通していました。

実際には、私は元々欧米での駐在経験が長く、通算9年の間、アメリカと欧州で仕事をしておりました。独立前に勤務していた電機メーカーでも、海外人材といっても何カ国も駐在、しかも米州、欧州、アジアと3地域を跨って海外勤務した人は珍しい方でした。その経験から物事を判断するグローバルな視野や価値観も培われてきたように思います。

その中でも自分の人生に大きな影響を与えたのが「ベトナム」と「アメリカ」でした。ベトナムについては、今後の残りの人生をかけるライフワークとして位置づけており、今の事業のコアドメインですので、このコラムでも毎回考え方について発信しております。そこで、今回はあえて「アメリカ」が自分の人生にどのような影響を与えたのかについて少し触れたいと思います。

人生の価値観を変えたアメリカ

私は今まであまりアメリカについて語ってきませんでした。実際、アメリカ勤務は7年半と海外勤務では最長の期間になります。会社でもいわゆるアメリカ帰りの社員は、何かアメリカっぽい雰囲気があり、考え方がマイペースという感じがあります。無論、私もアメリカから帰任してきたときには、そんな雰囲気があったのではなかったかと思います。しかし、アメリカから帰ってからの体験からその後の生き方や考え方を大きく変えることになったのです。

私がアメリカに赴任したのが29歳のときでした。今の時代、20代でアメリカ、しかもマネージャーというポジションで赴任する人はほとんどいないと思います。それまでは電子デバイスの輸出営業でアジア各国とアメリカを担当していましたが、ようやく主任レベルであり、いわゆる実務担当者でした。そこでいきなりアメリカ人の部下、しかも年上の女性の部下を持ったのですから正直大変だった記憶があります。しかし、割合環境順応性が高い方なので、すぐに仕事に慣れていきました。

当時は家族帯同でした。今でこそありえないのですが、赴任出国時には臨月だった身重の妻を残して、しばらくは単身赴任となりました。そのときは会社の内規があって、家族帯同は現地の生活基盤が固まるまで許可されなかったのです。ようやく半年後に呼び寄せるために日本に一時帰国したとき、初めて我が子を伊丹空港で抱いたときには既に6か月になっていました。その後数年にわたり家族でアメリカ生活が始まり、二人目の子供はアメリカで生まれました。アメリカ勤務と生活は、今思えばたくさんの思い出があります。まさしく人生の中で一番大きな意味のある30代をアメリカで過ごしたのです。その後日本に帰国したのですが、その後の自分自身の生き方や人生の価値観についても大きな影響を与えたのでした。

特に、最初にぶつかった壁がいわゆる「逆カルチャーショック」でした。一般に海外勤務では、社員一人ひとりに課せられる役割は非常に幅広く深いのです。つまり、結構自分自身で計画し、自分自身が判断し、自分自身が結果を出すということが評価される世界です。個人の力量が重視されるのです。日本に帰って一番ショックだったのが、物事を決めて前に進めるのに、集団のコンセンサスが最優先されるということでした。そのための組織内の根回しや報告に長けた人がどんどん重用されていくという現実の姿でした。私自身は今でもそうですが、上司におべんちゃらを使うのが大嫌いな性格で、業務に必要な報告以外はほとんどしませんでした。仕事の質とスピードには誰にも負けない自信がありました。アメリカではそれが仕事の実績につながり、結果として7年半の長期勤務となったのです。

アメリカは自由とドリームを求める国です。私もそういった経験を踏まえ、アメリカであれば会社をいつ辞めてもやっていけると思っていた記憶があります。アメリカ勤務が7年を超え、日本帰任の話が出たとき、真剣に会社を辞めることも考えましたし、帰国後の帰任部署を聞いて正直あまり熱い思いはありませんでした。そして、いったん日本に帰ってから考えようと思って待ち構えていたのが「逆カルチャーショック」でした。ただ、転職や退職に踏み切るところまでいかなかったのは、あらためて組織全体を動かす力が備わっていないリーダーシップ能力の不足を痛感したためでした。どう考えても私自身は「俺についてこい」的な親分肌の人間ではありません。しかし、参謀的な能力を発揮することで組織全体を正しい方向に変革していけるとの自信を持つようになり、その後の会社人生の生き方、考え方の基盤になったのが、この30台後半での日本帰国前後の体験によるものでした。アメリカでの勤務は決してグローバルな視点を持てるわけではありません。アメリカは決してグローバルな国家や経済でなく、巨大な田舎国家です。他の国がどんな関係性の中で生きているかなんてほとんどのアメリカ国民は知りもしませんし興味もありません。まさしく「America First」なのです。グローバルな視点で我々の事業環境や経済をどう理解するか、これはアメリカの視点では見えてきません。アメリカから帰ってからの自分のアイデンティティを確立していく過程で、私自身のグローバルな視野や発想が醸成されたものと思っていますし。今の海外展開支援コンサルタントとしての基盤につながっているとの思いをもっています。

まさしく7年半のアメリカででの経験がその後の人生観を変えたといっても過言ではありません。