変化と破壊が激しい経営環境で企業が生き残るには
私自身が社会人になってすでに40年近くになりますが、この間、世の中の変化はすさまじいものがあります。今では信じられないことですが、大学の工学部に在籍していたとき、電子工学の同じ研究室で友人が卒論テーマにしていたのが8ビットのパソコン製作でした。就職はメーカー系商社だったのですが、黒電話とテレックス、タイプライターだけで仕事をこなしていたのを思い出します。
その後企業を取り巻く環境は激変と破壊の連続で、いわゆる世の中の常識も次々と変わっていきました。当時は当たり前だとされていたことが、時を経るにつれて非常識になることも多いものです。特に価値観や倫理観をベースにした常識的感覚が激変し、いつの間にか一つ間違うと社会的存在から抹殺されてしまう大スキャンダルになることもあります。
受動喫煙を取り巻く環境の激変と常識の変化
昨日5月31日は世界禁煙デーです。最近特に話題となっている飲食店での全面禁煙に関する議論について、常識的感覚の変化という側面から考えてみたいと思います。特に、政治的にも企業の社会的責任という意味でも、喫煙に関する過去の常識からの変化は非常に要注意です。もはや世界標準となっているパブリック空間での全面禁煙を実現するべく、東京オリンピックに向けて厚生労働省が法改正案を出そうとしていることに対し、特に小規模飲食店の売り上げが落ちるという懸念から強い要望を受けた自民党が、党内議論で一種の抵抗勢力になって骨抜きにしようとしている様子を目にします。これは世の中の常識が完全に変わっているにもかかわらず、一部の業界要望や自分自身の思い込みから、非常識な抵抗勢力になっている己の姿が見えなくなっていることの証左とも言えます。
今や喫煙者は完全な少数派になっています。しかも受動喫煙の健康被害は世界中で完全に証明されているにもかかわらず、国民の健康よりも一部飲食業者の利益を大事にする政治姿勢がどう受け止められているのか気づかねばなりません。自民党は、安保法制やテロ等準備罪などよりも喫煙規制に甘い姿勢を示すほうがより問題だと感じることが重要だと思うべきではないでしょうか。 野党や左翼系の人は声は大きいですが、国民の大多数の安全保障に対する感覚とはかなりずれていることを真摯に受け止められないので、批判ばかりして国が直面している問題に向き合わない姿勢が支持につながらないのです。それよりも、むしろ声は大きくはないが意識の高い国民の大多数が感じている問題の一つに、この受動喫煙があります。害がはっきりしていて、迷惑だと感じている人が多いにもかかわらず、その迷惑をかけている側の人の立場に立って、受動喫煙規制に抵抗する感覚は相当鈍感ではないかと思います。以前自民党が政権の座から落とされたとき、何がきっかけとなっていたか、なぜ国民は民主党政権の選択を行ったのか、受動喫煙に対する政治姿勢にも相通じるところがあるように感じます。
今から20-30年前は、会社の事務所や会議室などで灰皿が出されて自由にタバコを吸うのが当たり前でした。飛行機でも喫煙席と禁煙席が分かれていたものの、実際には全く意味がなく、非常に煙たかった思い出がありあす。当時、海外勤務から帰任したばかりで、どこでもたばこを吸える環境にものすごく違和感があったのを覚えています。
それが今やどうでしょう。私自身も昼食時に他人の煙を吸わされるところには二度といかなくなりました。また、喫煙者数も確実に減少しています。学生時代の仲間や会社の同期とよく飲み会があるのですが、当時は過半数が喫煙者であったし、飲み会でも多くがタバコを吸っていましたが、今や全員が全く吸わないということにびっくりしました。飲食店を全面禁煙にすると客足が遠のくというのは全くの杞憂ですね。逆に喫煙できる飲食店というだけで客足が落ちるということの考えには至らないのでしょうか。
マイノリティに対する配慮と社会常識の変化
世の中の常識が大きく変化しているのは喫煙だけではありません。LGBTなどマイノリティの受け止め方に対する感覚の変化も顕著です。一人ひとりの異なった価値観を大事にするという感覚は大事でしょう。しかし、その価値観の持ち方に少しでも疑問の余地を挟むと、差別主義者だとのレッテルを貼り、一つの価値観、倫理観を押し付けようとする風潮が強くなっているのを最近特に感じます。過度な個人情報管理や消費者の権利意識の高まりなどによるいわゆるクレーマーのモンスター化など、大多数の幸福よりも声の大きい少数の無理を優先することが正義であるかのような感覚が広がってきているように思います。
マイノリティの立場や考えを尊重することは重要です。しかし、尊重することとすべていう通りにすることは全く違います。配慮しつつも最後は多数の最大幸福を決断するべきなのです。少数派の意見が通らないからといって審議拒否をしたり、法的になんら問題のないことを忖度するのが道義的に問題だ、などとくだらない議論ばかりやっている政党が支持されないのはむしろ当然ではないかと思います。
企業は社会規範の変化に敏感になることが重要
常識的感覚そのものが時代時代でどんどん変化してきたこの世界において、企業が生き残っていくために求められる特質として、コトラーは「レジリエンス」と「アジリティ」を挙げています。「レジリエンス」は特定の問題や損失に見舞われたとき、そこから復元するための能力のことです。もう一つの「アジリティ」というのは、激変する環境の変化を迅速に学び、スピード感をもって対応する能力のことです。言い換えれば「レジリエンス」は組織のもつパワーであり、「アジリティ」は組織が動くスピードといえます。片方では不十分で生き残ることは難しいのです。
私は、重要なのは「アジリティ」だと考えています。今まで正しいと考えていたことが、ある日突如時代遅れの陳腐化した発想になるのです。喫煙規制に抵抗し、中小の飲食店を守ることが正義だと凝り固まった政治家の言動は、いつのまにか典型的な抵抗勢力とみなされ、大多数の国民の幸福を大事にしない政党として一気に支持を失うことがあることを考えねばなりません。見方によっては風見鶏だの朝令暮改だのと言われることもありますが、常に世の中の動きに対するアンテナの感度を研ぎ澄まし、常にどういう風がどこからどこへ吹いているのかを見極め、素早く柔軟な考えを実践していくことが企業が生き残るためには必要条件だと強く思うのですが、皆さんいかがお考えでしょうか。