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企業の社会貢献は何でもSDG’Sがあるべき姿なのか

SDG’sが注目を浴びる前から企業の海外部門でCSRにも携わってきたものとして、昨今の猫も杓子もSDG’sに取り組むことこそが企業姿勢としてあるべき姿だという風潮に違和感を感じるようになってきました。

もちろん、SDG’sの概念や取り組みについて否定するものではありません。企業は事業を通じて社会が豊かになる付加価値を生み出すことで富を継続的に社会に還元していくことこそが本来の存在価値であるはずですから、事業を通じてSDG’Sに貢献するという理念は素晴らしいものであると思います。また同時に企業は付加価値を社会に提供することで、利益という社会的報酬を受けることができ、納税という形で社会に還元するに一番の存在意義があります。

この点は寄付金や税金を原資として活動を行うNPO団体や公的機関とは明らかに異なる立場であろうと思います。つまりいわゆる民間企業がSDG’Sを掲げて社会に貢献する姿勢においては、あくまで事業を通じて社会に貢献するCSRのあり方を考えることを優先するべきではないでしょうか。

企業のCSR活動は何でもSDG’Sでよいのか

SDG’sそのものは企業にとっても重要な指針になる項目であろうと思います。しかし、昨今非常に気になるのが、SDG’Sが社会通念の押し付けになってきてはいないかということです。

SDG’sの17の目標は世界全体として、このようなことが実現できるように取り組みましょうというものです。しかしそれぞれの項目を実現するには解決が非常に難しい現実との乖離が立ちはだかっています。だからこそみんなで頑張りましょうというのは、ある意味絵空事に聞こえる項目もあり、この目標を都合の良いように施政者は自らの立場を守るだけに使ったり、人権活動家などが一つの価値観を押し付けたり、寄付や公金を獲得手段に利用したりしているのではないかという疑問を感じるようになってきました。

特にロシアや中国等の傍若無人の行動は、世界を混乱に陥れ、SDG’Sでの理念実現はさらに遠のいてしまっているように感じます。エネルギー問題にしてもLGBT等ジェンダーフリーにしても、自分の価値観こそが正義であって、その考え方に与しない人たちには差別主義者というレッテルを張り一方的に攻撃する風潮が高まってきているように思います。

企業にとっても事業を通じて地球環境の負荷にならないような取り組みは企業の存在価値と直結するものであり、この分野での社会貢献をSDG’Sに連動させるのは素晴らしいことだと思います。個々の企業は17の目標達成全てに関係している事業を手掛けていないのは当然ですが、もちろんその一部であってもSDG’sとして意義あるものには違いありません。

しかし企業のCSR活動は本来SDG’Sが提唱されるずっと以前から取り組まれているものであり、社会が継続的に発展していくために企業活動がどうあるべきかという観点からCSRが位置づけられてきました。

企業によって考え方はいろいろとあると思いますが、どのような事業であっても地球環境への貢献とならび重要な社会的責任は人づくりであると考えているところは多いです。人づくりは従業員教育のことだけではありません。未来を支える人づくり、つまり継続する社会実現にとってなくてはならない将来の社会を支える今の子供たち、そしてこれから生まれてくる子供たちにどのような貢献ができるかについてまず考えるべきではないでしょうか。

企業は子供たちへの教育支援こそが未来への責任

LGBTや若年女性支援、貧困支援などいわゆる社会的弱者支援領域にNPO団体と称して人権ビジネス活動家が跋扈しているように感じます。社会から差別をなくそうという理念には共感できる部分もありますが、社会的には富の配分に主導的に食い込むことによって、その枠組みの中で寄付や公金を活動原資としている実態を目の当たりにします。決して社会全体の富が増えるような貢献をしているのではありません。

寄付や公金は社会発展のための未来への投資と考えるべきではないでしょうか。弱者支援事業を行っているNPO団体の活動報告を見ると、ほぼ公金を使って実施した活動の説明ばかりが多いように思うのです。「こんなパンフを作成しました」「アウトリーチ活動を何人にやりました」「LINE相談を何人とやりました」・・・・。結果的に支援対象者のうち何%が自立したのかといった社会的投資に対する効果が見えません。弱者だから支援して当然、費用対効果など関係ない、老人福祉も障がい者福祉もどんどん予算を増やしていくべきだというのは、子どもたちが支える未来社会対してあまりにも無責任ではないでしょうか。

私たちの未来は子供たちにかかっています。異次元の少子化対策が必要としながらも、あまりにも国や企業が子供たちへの教育支援が貧しすぎます。もっと子育てがしやすい環境をということで様々な施策がなされてはいますが、基本的にその中身は親の負担を減らしたり働き方改革といった、いわゆる親の立場に立った発想しかないように思うのです。

もっと子供たちが才能を開花させ、科学力や技術ノウハウ、クリエイティビティを発揮できるような人材として教育投資する教育行政のあり方を根本的に見直すべきです。

また企業は社会や家庭が教育投資して育てた人材を採用して、そのスキルを活用することで事業を行っているのです。教育に対する支援が真っ先に来なくてはいけないと強く感じます。地球環境と教育への貢献こそが企業のCSR活動の一丁目一番地であると思います。

社会的弱者支援事業に企業として寄付を行うべきではないとは言いません。しかしその活動に直接参加せず、また寄付したNPO団体等や募金先がどのように寄付や公金を使っているのか、その費用対効果を検証せずに単に寄付だけ行っているのは決して褒められるCSRではありません。

企業が今一度考えなければならないのは、「子どもたちは企業にとっては未来へのパスポート」だということです。

企業は地域の子どもたちを育てる活動にもっと関わることが未来社会への責任です。「技術で未来をつなぐ・・」といったスローガンを掲げている企業で、地元の小学校の児童に理科実験を教えたり、出前授業などのイベントをやったことがどれくらいあるでしょうか。自社工場に社会見学で積極的に受け入れていますでしょうか? 先生が多忙な中、クラブ活動の顧問として指導する時間が取れないのに、企業や親が土日に子どもたちのためにクラブ活動支援を行っているでしょうか?

今、小中学校で理科実験を教えられる先生がほとんどいないと聞きます。科学に興味を失った理科嫌いの子どもの大多数が大人になった結果、技術立国と言われていた日本が凋落した原因の一つであるように思えて仕方がありません。

少子化問題対応するのは単に政府の責任ではありません。企業として育児休暇の制度を充実させたり、女性が子どもを産み育てる環境を整えたりするだけでは不十分です。LGBTの差別反対は理解はできますが、男女の出会いと恋愛がなければ子どもは生まれないのは事実です。そして子どもが少なくなると社会全体を支えることはもう限界となるのは明らかです。社会的弱者を支援することも無理となってきます。LGBTや若年女性支援どころではなくなります。

年々生まれてくる子供たちが少なくなっている中で、子どもたちをどう育ててが未来につながるのか、これこそが少子化問題対応でまず取り組まねばならないことであり、企業の社会的貢献活動の基盤もここに置くべきだと強く感じます。