このページはJavaScriptを使用しています。
ご使用中のブラウザはJavaScriptが無効になっているか、JavaScriptに対応していません。
サイトを正しく表示、ご利用いただくには、
JavaScriptを有効にするか、JavaScriptが使用可能なブラウザでアクセスして下さい。

複雑な問題は二軸で切るとわかりやすい

最近TVを見ることが少なくなってきたのですが、先日たまたま見たテレビ番組で「初耳学」という一種のバラエティですが、林修先生が高学歴ゆえに社会に不満を募らせている高学歴ニートたちに特別授業を行う放送がありました。その番組では、「仕事で時間を浪費するくらいなら好きなことをしていたい」「かじれるスネがあるのだからかじって何が悪い」「好きな仕事じゃなければ働きたくな」「いい大学に入ったのだから、やりたくない仕事はやらなくてもいい人生が送れるはず」・・・と、正直開いた口が塞がらない場面が多くありました。その後のSNSでも高学歴ニートと言われる人たちへの批判の声がうずまいていました。

この件について、あえてここで論評することはしません。むしろ、林修先生がニートたちにいろいろ考えを伝えていく中で、私もよく使う十字分析、つまり二軸に切って、物事を四つの象限からポジショニングを明確化する手法を取られていたことに、改めてわかりやすくかつ納得性が高いと感心したのです。

林修先生は、「働く」という意味を考えるうえで、「仕事ができる、できない」という軸で社会は評価するということを伝え、そこには「やりたい、やりたくない」といった自己の満足感は関係ないとまず明確に定義していきました。「仕事ができる」つまり会社や社会が評価する人材とは、「やりたい、やりたくない」を超越して、「解決力」と「創造力」のどちらか、もしくは両方で卓越した結果を出せる人だと言い切ります。

世の中の名人と言われる人に、その仕事は好きだったから名人となったのかと聞くと、そうだと答える人はまれだと言います。最初はいやでやりたくない仕事だったけど、周囲から評価されるに従い段々と好きになっていって、それがさらに技を極める動機になっていったという名人が多いのだとか。いわゆる一流と言われる人は、決してその仕事が好きで続けているというよりも、毎日がつらい厳しいという人が多いように思います。オリンピックに出るような一流のアスリートなどは、楽しくて続けてきたというよりも、いつ辞めようかと日々葛藤の中で、常に上を目指し努力するモチベーションの高さが人より秀でていたから今の地位にあるのでしょう。

しかし、高学歴ニートと言われるひとは、職業や仕事に対して、社会評価の軸である能力軸ではなく、自己感情のモチベ―ション軸でしか考えれない、つまり横軸の自分にとって楽しいか、やりたいかどうかだけの視点しかないわけです。ある意味彼らは右下のゾーン、そんなに能力がなくても楽できる仕事ならやるよという考えです。もちろん、そんな仕事は世の中にはまずありません。結局のところ左下のゾーンに落ちていき、能力もなければやる気もない、日本の社会に巣くうフリーライダーの存在になってしまうのです。しかし、本人たちはスネをかじっていることに罪悪感もなく、当たり前と思っているからそれが理解できません。

要するに、社会全体であろうと、会社組織であろうと、能力もないのにやる気もない人が必ずいるわけで、仕事ができてモチベーションが高い人たちが生み出した付加価値を蝕んでいる構図が実態として浮かびあがるのです。

二軸分析から考える人材育成のヒント

こういった人たちは排除すれば良い!というのは簡単です。しかし、このような人たちを含めて我々の社会全体、また企業に一定数存在している中でどう組織力を高めていけば良いのかについて、いくつかのヒントを得ることができます。

「できない能力の低い人」にいくら能力を高める教育投資をしても「できる人」にはなりません。そもそもやる気のない人に上の象限に引き上げる能力アップは至難の技です。

ここに人材育成が組織力強化につながるヒントがあります。しかも人材育成の切り口は二つしかありません。「能力向上」と「モチベーション高揚」です。会社ではいろんな人材育成の研修が用意されていると思いますが、全てこのどちらかです。しかも両方のバランスが必要です。スキルアップだけの研修プログラムでは成果にはつながりません。また「モチベーション」だけでは空回りするだけで、決してレベルアップにはなりません。その両方が大事なのです。

しかし、どちらが先かとなりますと、「モチベーション」が先なのです。社員がやる気さえ出せば、自ら自己啓発の必要性を自覚し、会社が用意する研修の目標以上に個人のスキルが向上していきます。このサイクルが大事です。

高学歴ニートと言われる人たちは、基本的に仕事ができる潜在能力は高い人が多いのです。ただ彼らにやりたくない仕事で能力を発揮するのはまず無理です。したがって、まずやらねばならないのはマインド改革です。悪い言い方をすれば洗脳教育になります。いかに働くことのモチベーションを高めさせるかにあります。

林修先生の授業で、「できる、できない」は必然であって、「やりたい、やりたくない」は偶然であるという説明がありました。ゲームやネットでの情報発信ならやりたいというニートがいました。でも、それはたまたま今の時代に生まれてきた偶然による価値観に過ぎない、「やりたい」仕事に絶対的な基準はないはずで、もし100年前に生まれていたとすれば、ゲームやネットが絶対的な価値観になすはずがない、つまり偶然に思考が支配されているのではないかとの示唆がありました。

全くその通りだと思いました。「できる、できない」が必然というのは、世の中の問題を解決する能力か、もしくは新たな価値を創りだす能力の二つに集約されるのです。これは100年前であろうと、戦国時代であろうと、どの国や民族であろうと、人間がそもそも持っている卓越した能力であり、万国古今東西、リーダーたる優れた人物はこの二つの能力があるからこそ、評価され尊敬されるのです。

そして、この二つの卓越した能力を持つには、動機付け、モチベーションが基盤として確立していなければ不可能だと改めて感じました。どんな人材であろうとまずはモチベーションをいかに高めるか、そのうえでどう能力開発を行うかという視点を持てば、組織全体は限りなく強くなっていくのではないでしょうか。