鈍感な教育機関の社会的責任感覚とリスクマネジメント
最近、日大アメフトの意図的な危険プレイが大問題となっています。日々問題が拡大し大変な社会問題として日大のプレイヤーはもちろん、監督、大学本体まで厳しい批判を受けています。もちろん、日大側には弁解の余地もないプレイであったと思いますが、本日までの状況を見ますと、組織としての危機対応の甘さが露呈しています。被害を受けた関学側が何度か記者会見し、抗議文を送った後の日大側の回答を紹介し、相互信頼感が失われ誠意のなさについて怒っておられますが、一方の加害者側の当事者である日大側からは一切記者会見も正式コメントも出さないため、どんどん火の手が拡大し、今やチーム存続すら危ぶまれるばかりか、日本最大の大学である日大のブランドそのものも大きく棄損されてしまっています。政府やマスコミあげて非難されている当事者であるにもかかわらず、ずっと沈黙を続けており、関係者のヒアリングに時間がかかっているとかで、正式な回答は一週間後といった認識の甘さが際立っています。広がり続けている火の手を最小限に食い止めるためには、何も置いても誠意ある謝罪と処分も含めた対応のスピードです。今の日大には危機管理意識が低すぎるのではないでしょうか。
教育機関のCSR
企業は、何のために世の中に存在しているのかということが常に問われます。単に雇用と利益を生む事業だけでは社会的責任を果たしているとはいえません。事業を通じて社会の発展にいかに貢献していくかを意識しており、反社会的な行動に対しては糾弾されるだけでなく、社会への貢献度合いそのものがブランド力を高めていきます。企業は未来に対する責任があります。そのため事業に直接関係すること以外にも、国、社会の発展に寄与する教育や環境分野での貢献を重視しているところが多く、教育財団や環境NPOなどに積極的に寄付をしたり、活動そのものにもボラインティア支援を行ったりします。
ところが今の教育関連機関は自らの社会的責任についてどこまで真剣に考えているのか疑問に思うところが多くあります。以前から小中学校での教師の質や政治思想の問題が取り上げられたり、いじめの問題が深刻さを増していました。学校に限らず、文科省も含めた教育機関の責任は、国、社会の未来を支える人材を育てることに尽きると思います。その行政のトップが出会いバーに入り浸っていたり、獣医師会の既得権益者とともに大学認可を妨害してきた事実に悲しくなります。
一方、今回の日大の対応を見る限り、大学自身教育機関としての社会的責任をどこまで感じているのかわからなくなります。アメフトの危険プレイを誰の判断で行ったかということも問題ですが、大学に所属する体育会のチームとしてスポーツ精神を置き去りにし、意図的に怪我をさせたという社会規範の根幹であるルール無視という不祥事を起こしたことへの常識外れの対応は、教育機関としての存在価値すらもないと言っても良いぐらいものです。しかし、その危機管理能力は全くないのが大学というのが恐ろしくなります。大学自身の社会的責任とは何かわかっているのでしょうか。
大学には危機管理対応力はない?
大学というところは非常に狭い世界で、教育機関という枠の中で文科省に予算と権限で締め付けられている間に、だんだんと世間の常識からずれてきていることがあります。今回は日大のアメフトの危険プレイに対する責任問題ということで、日大そのものの存立リスクにもかかわっているわけですが、先日の女子レスリングのパワハラ問題においても、女子レスリング界を牛耳ってきていた監督の言動問題だけでなく、監督を傘下においていた至誠館大学の学長の常識外れた会見で非難されたり、国立大学でも繰り返される大学入試の出題ミスによって合格者を不合格にしたり、研究論文の盗作など不祥事が絶えません。
企業は経営理念を常に振り返り、その達成に向けてのビジョンをどう作り上げて達成していくかを、日々経営者は悩み格闘しています。ところが今の大学は、開学精神を常に振り返り、その実現に向けて何をどう取り組んだのか、もっと社会的責任を果たすためにオープンにするべきなのであって、決して入試志願者数が増えたのかとか利益が出たのかだけで判断するものではないと思います。ましてや今回の日大のアメフトの不祥事は、ゲーム中に起きたこととは言え、スポーツ精神の風上にも置けないような誠意のなさと指導者の責任逃れの対応、大学としての危機管理能力の低さを考えると、少なくとも日大アメフトチームの監督は、どんなに日大の幹部であったとしても、責任をとって辞任し大学から去る以外にはないと思います。
それにしても組織として危機が発生したときのマネジメントの重要性を改めて示唆してくれます。企業だけでなく、あらゆる組織のリスクマネジメントがいかに大事かよくわかります。