自尊の心より他尊の心
皆さんの周囲には自尊心の塊のような方が必ずおられるでしょう。自尊心が高い人は他人との比較において自身の位置づけを非常に気にします。他人は他人、自分は自分という柔軟な思考力が弱く、二律背反、白か黒か、自分の考え方や行動基準が常に正しく周囲は悪、うまくいかないのは全て他人のせいにしがちです。他人のおかげによって自分が生かされている感謝の心を持ち合わせていない人が多いように思います。
自尊心の強い人を見ると、いつも「自尊心ってそんなに意味があるの? おいしいの?何か役に立つことがあるの?」と言いたくなります。自尊心はあくまで自分自身の心の受けとめであって、強くても弱くても他人からは見えるものではありません。他人からはどうぞご自由にというものなのですが、自尊心のみが自分自身の存在理由としか受け止められない人にとっては、他人から「へーすごいね!」と比較して褒められたり評価されないと生きていけないぐらいのものです。
いつも他人と比較してどちらが上か下かでしか価値判断できないかわいそうな人たちにとって、他人の尊厳を大事にすることは念頭になく、いずれは自尊心を評価してくれる周囲の人々は離れ拒絶されていくことでしょう。自尊心の高い人は、失敗したり他人から批判されると、自尊心つまり自己の存在否定に恐怖を感じ、他人に対して攻撃的な態度をとる傾向があります。自尊心が高いことで何か良いことが一つでもあるのかという思いがしますが、自尊心そのものが生きるための支柱である場合、他人を優先することはデメリットでしかありえないことのように考えているように思えます。
国際ビジネスでも他尊のこころは信頼感を生む
他人を大事にする他尊の心は、一般の日本人にとっては理解ができる概念だと思います。「お客様のためのお役立ち」や「おかげさまの心」、「おもてなし精神」、「他人に迷惑をかけない」、「自己犠牲の精神」は日本人の特徴や考え方の根底にあるように思います。
一方、日本との比較において、多くの場合他の国民は自尊心が強い傾向があります。では、外国人と取引や付き合いを行うにあたって、日本人も自尊心を強く持ち、他人の利益のために自己犠牲を払うべきではないのでしょうか。
確かに一般的に、自尊心が強い、絶対自分たちの弱みは見せない、弱みは恥辱であり存在否定であると考える国や国民が多いように思います。しかし「他尊のこころ」は十分に相互理解による信頼関係を生む理念であるように思います。常に相手が自分たちのために頑張ってくれている、絶対に上から目線で相手を見下す言動をしない、メンツを重んじてくれる、相手の文化や習慣を理解しリスペクトしてくれる、常に相手の立場に立って考えてくれる・・・こういった心や振る舞いはどんな国であったとしても信頼関係を築く基礎となりえるものと信じています。
でも自尊心は傷つけてはいけない
ただ残念なことに、一部ではどんな相手に対しても、頭を下げるなんてプライドが許さない、感謝の気持ちを伝えない、ビジネスは勝ちか負けか騙し騙されの世界で騙される方が悪い、相手を言い負かした方が勝ち、という感覚をもっている国や国民を相手にしなければならないことがあります。どんな場合でも自分たちが正しく、相手は間違っている思考しかない人たちとはまともな付き合いができないのは当然です。約束を守れず、正しいことと間違っていることを感情的でなく論理的に判断できないのは、その根底に過剰なまでの自尊心が文化土壌にあるように思います。どこの国とはあえて言いませんが世界には何か国かあります。
一方で、自尊心が強い国民性でありながらも、相手の立場にたって感謝の心を大事にする国もあります。「ベトナム」と「台湾」はその代表的な国だと思います。ベトナム人も台湾人も国民性としては良い意味でプライドが高いですし、それが国のエネルギーを支えているといっても良いと思います。
「ベトナム」や「台湾」に共通したところがあります。
それは国際社会において、自尊心が高いにもかかわらず他国に対する尊厳の念が非常に高いのです。きちんと自分たちの問題点を理解し、日本を含む他の国々が優れていること、学ぶべきことを素直に認め、日々改善し努力している姿勢に感銘を受けます。また支援してもらったことに対して、相手を持ち上げる姿勢や行動も素晴らしいのです。外国で自然災害や大事故が起きたときには、すぐさま弔意を表し、国民挙げて義捐金を集めて送ったりしてくれます。ODAで建設した橋梁などには支援してくれた国を讃える碑を掲げています。もちろんしたたかにも新たな支援をオネダリしますが、感謝の心を忘れない態度に日本人は感激を覚え、今後もお役に立ちたいととの思いを擽られるのです。この両国は日本に対しても言いたいことや不満も抱えていますが、非常に「褒め殺し」に長けているのです。
一方、批判を繰り返してマウントを取ることが道徳的優位という摩訶不思議な概念に囚われ、自尊心のみを外交の基準にしている某国とは信頼関係の構築はまずは無理でしょう。相手を批判するばかりでどうやって友好関係が作れると考えているか甚だ疑問です。一方的に喧嘩を売って、助けろとか優遇せよといっても無理な話だと気づかないのはある意味痛いです。某国に限らず相手を敬う「他尊の心」こそが新たな関係を作り上げていくだと思いますし、日本国内においても常に一方からの価値観で非難しかしないメディアやジャーナリストたちが跋扈している病巣も「このねじ曲がった自尊心」にあるような気がしてなりません。
ただこの自尊心ほど厄介なものはありません。本人と他人との間で双方向のコミュニケーションは存在しない内面感情です。上下関係、差別化意識がその根底にあるだけに、それを無視したり自尊心そのものを傷つけるまでに追い込んでいくと、相手の存在自体を否定してしまうためどうにもならなくなってしまう危険があります。
とりわけ外国人が持つ自尊心を傷つけないようにするために、必ず守るべき鉄則があります。それは「人前で叱って恥をかかせない」ことです。具体的に言いますと「面罵」行為は絶対にやってはいけないということは日本人が一番気をつけるべき項目です。
一対一で叱ったり激しく議論をすることは問題ありません。人が周囲にいる状況や会議において、特定の人物を面と向かって叱りつける行為は日本人はよくやりがちです。しかし、これだけは絶対にやってはいけません。人前で叱られたり議論で負かされてしまうことは、本人にとっては人前で恥をかかされてメンツを失うのです。メンツを失うということは自尊心をずたずたに引き裂かれ、公衆面前で存在価値を否定されたことと同じ意味になります。たとえそれが正しいことであったとしてもです。
相手の人間性を頭から否定し人前で恥をかかせたことは、その時点で信頼関係の再構築は永遠にあり得ません。日本人は相手に非を認めさえることで反省させ、同時に全体責任の意味も込めて周囲にも非をわからせるため、人前で叱責することを何とも思っていない人が多いのですが、これは国際常識からみてあり得ません。最低の行為です。
実際、ある日本企業で人前で従業員を叱責したことで、叱られた本人が二度と出勤してこなくなっただけでなく、それを同席して見ていた他の現地社員の何名かが翌日に「こんな従業員の人間性を否定するような上司の下では働く気がなくなった」と退職したという事例があるのです。
他尊の心を忘れているのはむしろ日本人ではないかも知れません。