富士山登山で感じた今後の人生のこと
今年の夏、生まれて初めて富士山に登山しました。個人のフェイスブックでも発信していましたので、その時の経験について親しい方々は既にご存知のことかと思います。
なぜ今年富士山に登ろうとしたのか、そして登山はどうだったのか、またこの登山をきっかけに今後の人生や仕事について考えることがあり、振り返りの意味で少しまとめてみたいと思います。
登山には全く興味がなかったが・・・
元来、特別な分野にこだわりや執着心もあまりない性格で、とりあえず興味があれば触れてみる、見てみる、参加してみるぐらいで、のめり込むということはありませんでした。ある意味、何事も極めることが不得意でした。スポーツも文化全般に手は出しても全て適当にやっていると感じだったと思います。無論、登山やジョギングのようなしんどいことなんてやりたいとは思わなかったです。
そして早期定年退職後に独立開業し、この春でちょうど10年になったのをきっかけに、自分に残された今の人生の時間は少ないと実感するようになりました。
退職後にあるきっかけで中型バイクの免許を取り、フェリーで鹿児島から阿蘇にツーリングに行ったとき、鹿屋にある特攻記念館を見学し、改めて今の時代に生かされていることの意味について深く考えるようになりました。また父や叔父叔母などが亡くなったこともあり、バイクで四国お遍路八十八寺と西国三十三所巡りを通じて、神の存在や仏教の教えと残りの人生や仕事のあり方についての関係性を強く考えさせられました。今、この世に生きている残り少なくなった時間に何をなすべきかを考えたとき、私たちは、次の世代により良い世界をどうつなぐかという使命を改めて悟ったと言えます。
社会よりも個人の利益になることが最優先であり、いかに楽して不労所得を得ることが大事だという価値観を重視する社会、傲慢で世界の精神支柱を破壊し、物心にわたって害毒をまき散らす国や人々を次世代にしまった私たちの世代には大きな責任を感じるのです。神仏双方に共通する考えとしては、私たちの魂の存在は永遠であって、私たちの体はこの世で魂が与えられた使命を果たすための借物に過ぎず、死後には別の時代に輪廻転生で再度生まれ変わるという死生観に共感するところがありました。新たな借物の肉体で生かされることになると考えると、せっかく神仏から与えられたこの世での生をいかに世の中に貢献できる生き方、次の世代につながる生き方ができるかが問われているとの思いが強くなりました。
ここからは空想の世界になりますが、死後私たちの魂は天に昇っていき、四十九日後にこの世での行いを踏まえて、神様から新たな生を受けて三次元のこの世界に生まれ変わるというのは、年を取るについて変に納得するのです。また日本の神道は一神教ではなくいたるところにおられるという八百万の神を信仰、自然すべてに神が宿っておられ、私たちの生き様は全てお天道様がお見通しであるという高度な精神性を持っているからこそ、日本人は他人を大事にする、周りに迷惑をかけない、自分勝手な振る舞いをしない、落し物はネコババするなどもってのほか、といった文化や民度の高さは、先代や祖先が今の日本人育て社会を継承してくれたおかげだと思うのです。
その神仏の存在が日本人にとっての支柱であるとすると、その神仏は天から私たちを見ておられるのですから、日本人にとって神仏がおられる一番近い場所とは・・・そう雲の上の富士山だから霊峰なのです。ならば今の人生での肉体が時間とともに衰えていく、あちこち病気で動かなくなる前に、何とか神仏がおわす富士山に一度は登っておかなければ死ぬに死ねないと考えたのがきっかけでした。
富士山登山で感じたこと
日本人にとって富士山は霊山であって、決して観光で遊びで登るような場所ではないです。確かに世界でも有数の絶景ですが、それはあくまで遠くから見た限りです。観光で富士山に行きたいのであれば、周囲の景勝地から眺めるか、それかドライブウェイで5合目あたりを散策するだけで十分かと思います。
5合目まで簡単に行けますので、安易に観光気分で登頂しようと、特に外国人観光客が軽装で3776メートルの山を甘く見て登山する姿があまりにも多すぎます。今年初めて登山したのですが、だいたい8割ぐらいが外国人で、そのうちの1/3ぐらいがピクニック気分で、半袖Tシャツ、短パン、スニーカーやサンダルという常識外れの恰好でした。高山病対策もせず、レインウェアも持たずにビニールカッパだけではまともに登れません。今回は天候に恵まれたとは言え、途中で雨が急に降るし、夜は強い風雨が山小屋の屋根をたたきつける状況であるにもかかわらず、しかも深夜でも山小屋を予約せずに震えながら休憩所の椅子に座っていて、一歩も進めず救護所に駆け込むのほぼ全員が外国人であったように思います。
富士山は日本人にとっては信仰の聖地です。外国人観光客がピクニック気分で登るような山ではない!というのが正直な思いです。5合目のゲート以降は軽装、および山小屋の予約なしでの入山禁止する規制を徹底する特別法や条例化してもらいたいです。下界は35度でも富士山頂上は台風並みの風速20メートルで気温5度ぐらいになっていました。なんで半袖Tシャツで登れると思うのでしょうか。山を舐めているといわざるを得ません。
私も年齢的には若くはないので、斜度のきつい岩場を上るのも辛かったですし、途中でふらっとなりかけて、高山病のような頭痛も少し感じましたが、行動食のパウチのアミノ酸ですぐに回復したりと何とか神仏のご加護で登頂できました。
ご来光は山頂ではなく7合目の山小屋からでしたがやはり感動的でした。空がだんだんと明るくなり、ある瞬間に一気に光がぶわーッと横一線に広がるのです。まさに天から神がご降臨された一瞬のように感じました。このご来光を見るだけでも、神様に包まれている幸福感を体全体で感じることができたのです。
日本人の信仰の聖地、富士山での神様との出会い。これこそ私が今の人生でやるべきことの一つだったと思います。手足がまだ元気なうちに冥途の土産としてどうしても行きたいところはあと三か所あります。それはまた別の機会に。。。でも全て国内です。