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リスクマネジメントとはリスクを忌避することにあらず

日本人の典型的な国民性とはどのようなものでしょうか。約束を守る高い規律性であるとか、品質へのこだわり、おもてなし心、協調性や忍耐力があるなど、いろいろな分析がなされています。しかし、各国の国民性を長年にわたりグローバルな視点で研究してきたオランダのホフステード博士によれば、日本人が世界の中で突出している国民性の項目があるのです。それは「不確実性回避」と「結果重視のリスク対応、自己責任などを重視する男性的価値観」、「長期的志向」の3項目です。他の評価項目としては権威主義かどうか、個人主義か全体主義か、悲観的か楽観的かなどがありますが、それらは日本人は他の国の国民と比較する限りはそんなに偏った傾向があるとはいえません。

突出してい3項目で共通している考え方が浮かび上がります。「成功することよりも失敗することを避ける方がより重要」というものです。日本企業はやたらとコンプライアンスだのリスクマネジメントを最重要に考えます。「法令順守、これは社会的責任のある企業として当然のことである」、日本は法治国家なのだからあやゆることに法律至上主義で対応します。

例えばベトナムなど海外で新たな法律や通達が発布されたとき、だいたい抜け穴はたくさんあるのが通常です。新たな法律がまず出されても、違反に対する罰則は規定されても実際の実施細則が全くわからないというケースがよくあります。その場合、たいてい日本企業は商工会や大使館などを巻き込んで大騒ぎになり、個別企業もしくは業界団体や政府機関も省庁に問い合わせをします。法律に基準が書かれていない部分で規制するわけですから、法律の解釈を明確化するためにヒアリングしたり、新たな通達を求めたりします。コンプライアンスを重視する考え方から、まず動くのは日本企業なのです。

ところが、肝心のベトナム地場企業や中国、韓国企業がどう対応しているかと言えば、ほとんど動いていないのです。法律で明確に規定してもらわないとコンプライアンス違反になってしまうと考えるのはほとんどが日本企業のみです。日本以外の企業は、政府が決める法律はだいたいは不完全なものが多いので様子を見るだけでいいと考えており、実際運用して問題が出てくればまた改正されたり法律そのものを撤回することもありうるので、そんなに真剣には考えていません。また不完全な法律運用でうまく輸入通関できなかったり、役人が罰金を求めてきたようなことが発生したときには、それはそれで対応方法が法律とは関係しないところでいくらでもあると考えます。しかし、日本企業にはなかなかこういったグレーの部分で対応するというのは非常に不得意ですし、コンプライアンスに少しでも引っかかるようなことをやること自体受け入れられません。

リスクマネジメントはコンプライアンスと同義語ではない

日本企業の多くは、コンプライアンス経営は最重要課題であると考えていますし、そのためのリスクマネジメントの取組みを推進しています。例えば発展途上国で深刻な問題であると同時に文化土壌や国家のしくみから避けては通れない「賄賂」につきましても、海外現地の状況に合わせてある程度は仕方ないと考えるのは大きなリスクがあります。企業はグローバルに事業を展開しているところが多いので、コンプライアンスの問題やその展開国内だけの基準に合わせておけばよいというわけにはいきません。「賄賂」の問題のみならず、「環境対応」や「国際税務対応」「カルテル」などの問題は常にグローバル視点でのコンプライアンスが大事です。

これらのリスクを徹底して洗い出しリスクを徹底してつぶす、つまり問題をいかに起こさないか、リスクをいかに避けるかということに重点的に取り組むのがリスクマネジメントであると取り組んでいるところが一般的かと思います。

特に日本人の国民性として「成功することよりも失敗をしないことがより大事」と考える人が多いので、リスクフリーを究極的には目指していくべきと考えがちです。つまり管理ばかりが重要視されます。何か新しいことに挑戦して成功することよりも、何もしないで失敗をしていないことの方が評価される文化土壌なのです。

日本の役所や国会などの答弁や審議を見てますと、いつも「~の恐れがある」「もし~が起きたらだれがどう責任を取るのか」といった仮定の話や、少数の失敗の可能性をことさら強調して、新しいことに取り組むときの失敗するリスクを揚げ足取りの道具に使っているのをよく見ます。

何か新しいことに挑戦するときには、必ず失敗のリスクはあります。問題も起きる可能性もあるでしょう。もちろん挑戦しない場合には、そういったリスクは考える必要はありませんが、逆に何の新たな価値も生まないどころか、外部環境の変化に適応する術を自ら放棄していることにつながってしまうことに感度が鈍いのが日本人の悲しい性といえます。

日本人は今こそ「私、失敗しないので」精神をもつべき

中国や東南アジア各国の国民性は、この「不確実性回避」の項目では対極側にあります。失敗しないことよりも成功することの方がより大事と考えるのです。当然理解できる価値観ですが、少々のリスクが想定されても、新たなことに挑戦して成功しようという意欲、考え方は、日本人として大いに学ぶべきかと思いますし、物事を決定できないままに、リスクがあるからとずるずると決断を先延ばしにする日本人は、外国から見て非常に奇異に映っていることを自覚するべきであり、その文化は変えていくべきだと思っています。

ドラマで「私、失敗しないので」という決めセリフが評判になりました。実際、物事において100%失敗しないということはありえないのですが、失敗しないことが最善であると考える人にとって、「失敗しない」と言い切る挑戦意欲と、有言実行する能力の高さを持つ人には排他的な言動をする日本人の嫌な面もこのドラマから感じることができました。

パナソニックの創業者である松下幸之助翁の名言に、「私は失敗したことがありません。失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる」というのがあります。

失敗を避けることがリスクマネジメントではありません。失敗のリスクをどうコントロールして成功に結びつけるか、成功への挑戦あってこそ社会の発展が実現するのです。成功まで続けることで、その結果を得て初めてリスクをマネージできたかどうかの成果が問われると思うのです。